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別府社長の手帖9
「みそ汁、するする」
文章 別府倫太郎 2014年6月16日更新
前回の別府社長の手帖は、「ソフトクリーム」だった。
今回も、「たべもの」繋がりで、「みそ汁」のことでも書こう。
ちょっと、無理やりな始まりかな・・・
でも、始めます。
むかし、「みそ汁を作りたい」と思いはじめたときがあった。
そのころは、自分のなかの疑問をつきつめたり、
「死って何?」とか「生きるって何?」ということを
考えていた。自分でいうのも変だけど、
まぁ、大変な時期でもあり、大切な時期でもあった。
しかし、なぜ、そこで、「みそ汁」を作ろうと思ったんだろう・・・
そんなことを考えていて、思ったことがある。
それは、「食べる」ということを突き詰めたかったからだろう。
一応、言っておくが、学校などで、教える
「食べ物を大事にしようね!ちゃんと、感謝をこめて、
食べようね!!!」とかでは、まったくない。
そんな、「偽善」ではない。僕の場合、「食べ物」というものを
「感じて」いたかったんだと、思う。
そもそも、みそ汁というのは、
煮干し、昆布、鰹節などから、出汁をとり、
そこに、色々な野菜、具をいれて、そして、味噌を入れる。
そんな、シンプルな料理。
でも、だからこそ、「過程」というか、
前回、話したように「風」を感じられる料理なのだと思う。
ぼくは、それを感じたかった、もしくは、必要としていたのだ。
そして、ぼくは、初めて料理を作ってみることにした。
最初の出汁についても、自分の体に合うものを、
探していく。昆布、鰹節、煮干し・・・
そして、みそ汁を作る鍋も。
土鍋、鉄なべ、ステンレス・・・
自分に合うものは、日々、かわる。
体調、気候、気持ち。
だから、自分の感覚を研ぎ澄まして、みそ汁を作る。
だんだん、作っていくうちに、
「食べ物」というものを感じているうちに、
そういうことを実践していた。
そして、不思議なことに、
僕が、みそ汁のなかに入れたいもの、それは、「旬のもの」。
旬のものを食べていると、なぜか、心地いい。
なんだか、嬉しい。
それは、たぶん、スーパーには、きゅうりとか、トマトとか、
本来、夏のものが、冬にあったり、
そういうことを「無理やり」している社会だからだと思う。
「旬」というものは、呼吸をするように、日々、変動していく。
だから、僕たちも、ゆっくりと、それに合わせていく。
だから、「みそ汁」も、味噌を入れることは、同じなのだけれど、
材料が、日々、違っていく。
ぼくは、そういうことを感じたかったのだ。
そして、これから、梅雨を過ぎたら、夏になるけど、ものすごく楽しみだ。
トウモロコシのゆでたてのを、アツアツのをかぶりつきたい。
夕飯前なのに、枝豆を食いすぎて、腹がいっぱいになりたい。
なすのみそ汁が、飲みたい。
僕の大好きな、麻婆ナスを食べたい。
色々とある。
不思議なことに、旬なものというのは、
水のように、すーっと入っていくのだ。
だから、僕は、みそ汁でそういうことを感じたかったのだ。
もしくは、食べたかった。だから、「作ろう」と思ったのだろう。
ただ、それだけのことなのだけれど、
大切なことなのだと思う。
結局、食べ物のことが多くなってしまったけど、(笑)
僕は、そういうふうに感じた。
そして、その感覚をいつまでも、残しておきたい。
そう、書いていて「気づいた」僕の話しでした。
作者
別府倫太郎 プロフィール

2002年12月5日生まれ。
新潟県十日町市在住。
3年前から始めた「別府新聞」の社長でもあり、
別府新聞のたった一人の社員でもある。
「学校に行っていない思想家」「ポレポレぼうや」など
色々な呼び名がある。