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別府社長の手帖21
「ライフ・イズ・ビューティフル」
文章 別府倫太郎 2015年3月5日更新
「ライフ・イズ・ビューティフル」という映画を最近、見た。
テレビで放映されていたので、録画して見ていたのだ。
ビーグル犬のはなと一緒に見たその映画というか
一つの物語は、とてもその時の空気が含まれていて
今のぼくが求めていたものだった。
何もかもを含めたようなそんな存在がそのまま表れている。
その「存在」の仕方、作る姿勢がぼくはとても強く感じられたのだ。
ぼくもそれで2回ほど泣いてしまっていた。
そこに移されているものが全て自分に関係のあるもののような
気がして、それが僕の中に強く突き刺さったのだ。
ぼくはもちろん、その時代に生きているわけでもないのだけれど
その苦しみや空しさがそのまま感じられた。
ユーモアを含んだ、その含みの中にある、苦しみや空しさ。
それらが自分にうまってきたのだった。
そして、それはきっと大切なことだともぼくは思っていた。
そこに来る苦しみや空しさという「事実」さえあれば
それに何かしら気づくことが出来る。
何も関係のないことでも、そこに一つの存在さえあればいいのである。
それによって考えたり、感じたり。
その繰り返しでいいのだと思った。
そして、またそれはいつかは必ず来ること。
結局、そのタイミングまで「待つ」ことが大事なのだろう。
ぼくはその一つの物語、一つの事実から何かをこくこくと
教わっていたのであった。
ライフイズビューティフル