別府社長の手帖12

「聞くと書く」



文章 別府倫太郎 2014年7月5日更新



ぼくは今、さいきん買ったペリカンの万年筆で、

この文章をかいている。ものすごくルンルンな気分だ。

(ペリカンといってもジュニアのものなので安心を)

しかし、その万年筆を見ながら、ふと思う。

「書くとは、そもそも、どういうことなのか?」

ふつうに考えれば書くとは、

こうやってペンをうごかして書くことだ。

だけど、言葉の力は、それだけじゃない確信が僕にはある。

なにか、「しずかな力」をもっているんじゃないかと。

そして、その「しずかな力」を魂はもっている。

さいきん、池田晶子さんという哲学者、文筆家の

「無敵のソクラテス」という本と、

谺雄二さんというハンセン病の詩人が書いた

「死ぬふりだけでやめとけや」という本を買った。

二人とも、もう亡くなっているのだが、

語ることを今でも、やめない本だ。

池田さんは、今でも問いかけてくるし、

谺さんは今でも、生きることをやめない。

それはきっと本を読むとどこかで

「しずかな力」を想起させているから、かもしれません。

だから、ぼくは、最後までこの語りかけてくる言葉を絶対に 聞かなければいけないと思うのです。

それは何も言わず、ただただ黙って思うこと、

全てに耳を傾けること。

これを僕はぜったいに聞きたい。

ただただ聞きたい。

そして、結局、その「聞く」というのが

「書く」という言葉のほんとうの意味なのではないでしょうか。

聞くこと=しずかな力が、書くこと。

それは、池田さんからも谺さんからも感じることが出来るのです。

「やっぱり聞くこと=しずかな力はすごいなぁ」と思った、

万年筆の話しでした。




万年筆 ペリカンジュニア

http://matome.naver.jp/odai/2138797615569138101



池田晶子 「無敵のソクラテス」

http://www.nobody.or.jp/doc?id=153



谺雄二 「死ぬふりだけでやめとけや」

 http://www.msz.co.jp/book/detail/07830.html









作者

別府倫太郎 プロフィール




2002年12月5日生まれ。

新潟県十日町市在住。

3年前から始めた「別府新聞」の社長でもあり、

別府新聞のたった一人の社員でもある。

「学校に行っていない思想家」「ポレポレぼうや」など

色々な呼び名がある。




(第11回「息子のまなざし」終わり)









別府社長の手帖いままでのタイトル

第1回「そこに居る光」2013-7-21更新

第2回「今を得るだけでは得られないもの」2013-7-28更新

第3回「生きるって何?死って何?病気とは何?」2013-8-7更新

第4回「見えないところに本質がある」2013-9-22更新

第5回「ボーっとすること」2014-9-22更新

第6回「カメラのこと」2014-5-31更新

第7回「ペロペロ、ソフトクリーム」2014-5-31更新

第8回「みそ汁、するする」2014-6-16更新

第9回「限界とぼく」2014-7-5更新

第10回「息子のまなざし」2014-7-13更新

第11回「分からないことの存在」2014-9-17更新

第12回「聞くと書く」2014-9-19更新

第13回「いじめという意見」2014-9-19更新

第14回「小さな火のなかで」2014-9-30更新

第15回「一番目の事実」2014-10-2更新

第16回「毎週金曜日」2015-1-30更新

第17回「ひきこもり計画」2015-2-6更新

第18回「寒ブリと焼き芋」2015-2-13更新

第19回「倫太郎のゆめ」2015-2-20更新

第20回「原稿一枚分の詩」2015-2-27更新

第21回「ライフ・イズ・ビューティフル」2015-3-6更新

第22回「体の反応」2015-3-20更新

第23回「石とぼく」2015-3-27更新

第24回「蚊に刺されて」2015-6-2更新

第25回「最後に」2015-8-9更新




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