|


別府社長の手帖22
「体の反応」
文章 別府倫太郎 2015年3月20日更新
体調を崩す、ということはどんなことなのだろう、と
ぼくはふと考えている。
というのも、昨日は一日中、頭痛が鳴りやまなくて、
体はだるくて、熱は出ていないのに、
体は熱く感じていて、と久しぶりにそういう
直接的な痛みを感じていたのだ。
春だから、ということもあるのだろうし、
何かの変化が自分の中で起きていたこともあるのだろう。
でも、その痛みの原因さえもわからないほどに
体は動かなかったのだ。
母も同じタイミングで体調を崩していて、
昨日は、母もぼくも布団の中でずっと寝ているような感じだった。
しかし、その原因もいまいちわからず、
風邪でもない、なんともいえないその痛みは
「体調を崩した」としか言いようのないような感じだったのだ。
でも、そのわけのわからない「痛み」というのが
あってもいいな、とぼくは思っていた。
どことなく、その頭の痛みや、体のだるさを深く考えられるからだ。
なぜ、こう痛むのか、ということではなくて、
もっと感覚的に「痛い」と思うようなそんな体調の崩しかた。
その理由などはひとまず、落ち着いてから考えられるのだから
その時は「痛い」と思った方がきっと、自分にとってもいい。
無理をしたから、とか、ストレスがたまっていたから、とか
ではない、わけがわからないけど
「痛い!」というような感じ。
そういう感覚もその「〇〇だから」ということと同じように
ちゃんとした事実として残っていいのだと思う。
まぁ、回復した今、理由などはたくさん、考えられるのだけれど
「痛い!」という感覚はかっこたる事実として僕の中にあるのだ。
どうしても理由を考えて安心したいと思う自分のほかに
どこか不思議といっていいほど、その「痛い!」ということに気づく感情が生まれてきたのだ。
立っている場所は変わらないのだけれど、
見えるものが違う、というような感じ。
そういうことにぼくは少し気づいたのである。
何かの変化に対応するように体が動いていく
感覚がぼくの中にあるのだ。
それは一方的な反応ではなく、
反射するような反応。
それが体の反応として伝わってきたのである。
そのことを思うと、ぼくはただたんに
「たのしい」だけではない、応え、としての嬉しさを
感じているのであった。