別府社長の手帖25

「最後に」



文章 別府倫太郎 2015年8月15日更新



鶴見俊輔さんが2015年7月20日に

お亡くなりになった。

私はその時、神保町に居た。

神保町。

知っての通り、神保町は古書店街の町、

つまり、多くの人が本を買った所。

ぼくにとっては、その神保町という空気は、

本の多さ、まだ読んでいない本の多さに焦ってしまう所であり、

それと同時に本の中の言葉がぼくを守ってくれているような

気持になるところだ。

きっと、神保町は知らないもの、知っているもの、

焦りと守られている気持、言葉の渋滞や言葉の泥臭いものの

清潔さがそのすべてが一緒にあり、

一緒に動き、それらが一緒に住んでいる所と感じる。

交互に反対のものを行き来しあったり、交差するのではなく、

同時刻を共にしている。

いっさい、拒むことなく。

きっと、唯一、拒んでいるのは自分くらいだろう。

そんな神保町で私は鶴見さんの本を買った。

そのことは、ぼくにとって、とても意味のある印象を持つ。

あの空気であの古本屋でこの本を買ったのだと思うと

自分が恥ずかしくなるほどにこの嬉しさを感じる。

そして、その本、上巻下巻からなるその本をぼくは読んだ。

分からないながらも言葉を拾ってぼくは読んだ。

それはやはり、ぼくにとって鶴見さんの大きな印象を

とらえる大きなきっかけとなった。

そして、鶴見さんがお亡くなりになる直前に

鶴見さんのことを教えてくれた人から本を頂いた。

神保町で。

その人は必要に急ぐように私にその本を手渡してくれた。

嬉しかった。

その翌日にぼくは鶴見さんの訃報を知った。

前からどんな形でも、講演でも何でも遠くからでも貪欲にお目にかかりたいと思っていた。

だから、ぼくは悲しさを考えた。

私は鶴見さんの本をちょっとかじったようなものなので、

何かを言う資格はない。

でも、鶴見さんが言葉にこだわったんだということは分かる。

いつまでも、本を出し続けていたことを知っている。

なぜなら、私は鶴見さんと出会ったからだ。

神保町で、本屋を通して買い、人を通してここに本はある。

それはぼくの体感した鶴見さん、もしくは言葉なのだ。

それが本来の言葉で言えば、「書く」ということに行き当たるであろう。

それがどういうことかを突き詰めていけば何かが見えるはずである。

私には、一つ残してきたものがある。

それは私自身の感覚。違和感である。

私がないがしろにしていたもの。

神保町で出会ったその本にはその感覚や違和感が

嫌というほど、敷き詰められていた。

そこで私は気づいたのだった。

感覚というものの苦しめられた存在へと

違和感という残されたもの、それを私は今まで考えていなかった。

考えていない、ということは、

つまり、何かに頼っている、ということだ。

私は思い出した。

ちょっと前に書いた文章を。

私はその文章を忘れることはなかった。

それが考えるということだった。

私は私を恥じた。

というよりも、私は私を認識した。

私というものを考えると、そこは外側への目線となる。

それの目線の先のものというのは、

私にとって「別府新聞」のことであった。

いろいろな記憶と照らし合わせ、そして、考えた。

私は別府新聞というもののバックヤードに潜む

「ネット」というものをしばらく考えていた。

なぜかは分からないけれど、考えていたかった。

そこから今の自分が見えるような気がしていた。

じっと一転を見つめるとそこにはもやっとした

幻影のようなものが写る。

考えるということは一点を見るということでもあろう。

私に写るネットは幻想に見えた。

浅く、重く、そういうものであった。

なぜ、重いのか。

なぜネットというものが重いのか

それを考えていると、何も頭に浮かばない。

まるで自分がそれを拒否しているように感じる。

だが、それと同時にそれが自分自身の重さでもあるのだ。

言葉はある意味で危険だろう。

読んでつけたものを、断片的に「すごい」と思えば

それはそれで良い。

しかし、それは自分を安心させるにすぎない。

一つの安心材料としての言葉がネットに出来ている。

そこに強い有害性がないからこそ、善いことも悪いこともない。

一つの言葉に夢中になり、それ以外のことには触れない。

善も悪もないから、そういう雰囲気が出来上がる。

私たちが正しい、そう思う瞬間に「私」は無くなる。

ネットは幻想のようなものでもあり、

それでいて、すぐに硬く小さくなる集団でもあろう。

私はそこに「手ごたえ」を感じない。

それは重く、鈍い、何もかもを寄せ付けないものだろう。

反対も反感も言葉も抵抗も無いだろう。

だから、ネットは重いのだ。 重い。

その集団の雰囲気が重いのだ。

本当にそう思う。

私はネットを拒んだ。

そして、もう一つ拒んだ。

それは肩書をもった自分そのものである。

別府新聞をやるに当たって私は「別府新聞社長」

と名乗ってみたり、自分の病気のことを書いてみたり、

切り取った考えや切り取った日常を書き記していた。

しかし、私はその中でも自分に言い聞かせていた。

それは別府新聞は五日後か一日後か一年後かに

辞めるかもしれないんだ、と自分は自分に言い聞かせていた。

なぜなら、自分自身はそうでもしないと、

すっかり感覚や違和感を忘れてしまうから。

そして、感覚や違和感は絶対に忘れてはいけないことだから。

だから、私はその感覚や違和感を刻んでおくために始めた

別府新聞をそれらを新たに刻むためにやめたいと思う。

本当の自分の感覚や違和感を刻める場所はネットの中にはない。

なぜそう思うかと聞かれたら感覚でしかないと

答えるしかないだろう。

ただ、ここで一つ言えることとすれば、

それはネットで書かれたり、

読まれたりするものには「手ごたえ」が伴わないことである。

書くほうは一人で簡単に載せることができる。

そして、読むほうも読む環境を整えなくとも、

考えなくとも読むことができる。

それは便利なことであろうし、伝達率もいい。

それらは全く否定しない。

しかし、私が拒んでいるのは、ネットの中にいる自分だ。

新たに追及すること、そして、違和感を考え、

それを拒もうとすることが、

一人の自分という書き手を保つということではないだろうか。

別府新聞という肩書を、そして、不登校や病気という肩書を取り払いと思う。

例え、取り払えなくとも、そこで必死にもがいていたいと思う。

自分自身は必至にもがいている所に居る。

その肩書に頼っていた自分自身を私は考えている。

そのことも私は忘れないでいたい。

私が書きたいのは、多くの人の手に触れて、

その文章が一つの指示によってではなく、

反感や違和感を含んだ文章である。

神保町で出会った鶴見さんの本は深く、質が重く、

書き手自身が「私は悪人である」と言葉で書いてある。

それはどんなに大切なことであろうか。

私はそのことを痛感した。

書くことはどんなに辛いことなのであろうか。

私は書きたいと思う。

神保町に溢れかえる、その本を私は書きたいと思う。

自分のことではない。

自分のことを書くのではない。

私は直感が働くところに向かいたい。

真理を書きたい。

私ではなく、私のものではない言葉を私は記したいと思う。

私はやはり本という形でしか書けないのだ。

例え、損しても得しても本のことを忘れないでいたい。

そして、違和感という真理を忘れないでいたいのだ。

別府倫太郎 2015年8月15日





























(第25回「最後に」終わり)







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第2回「今を得るだけでは得られないもの」2013-7-28更新

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第18回「寒ブリと焼き芋」2015-2-13更新

第19回「倫太郎のゆめ」2015-2-20更新

第20回「原稿一枚分の詩」2015-2-27更新

第21回「ライフ・イズ・ビューティフル」2015-3-6更新

第22回「体の反応」2015-3-20更新

第23回「石とぼく」2015-3-27更新

第24回「蚊に刺されて」2015-6-2更新

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