別府社長の手帖4「見えないところに本質がある」




  










別府新聞でこんにちは。別府倫太郎です。

僕は9月10日、講師として15分くらい(?)講演しました。

伝わるのはその人しだいですが、僕は僕の事を言ったつもりです。

もちろん、僕の事を全部言うのは無理ですが。

(もしするとしたら1年くらいかかっちゃうかな笑)

皆さん真剣に聞いて下さいました。

この講演の原稿は、僕が別府社長の手帖で書いたことを元に書きました。

その講演を別府新聞バージョンで載せますので、もし良かったら、少し真剣に少し面白く読んでみて下さい!







こんにちは。今日僕がここに居るのは、伝えたい事があるからです。

まずは、僕の壮大な人生から話します。(笑)

僕は5歳の時に円形脱毛症を発症し、3か月くらいかけて全身の毛が抜けました。

髪の毛がつぎつぎと抜けている時の情景が、はっきり今でも頭の中にうかびます。

でも、ただただ情景が浮かぶだけで言葉に表せません。

言葉では言えないですが、少し言えるのは怖かったという事です。何が怖かったのかは分かりません。

そして、病気を治そうと病院を転々として、一生懸命にわたり歩きました。

髪の毛が抜けた時の漠然とした怖さが、僕を動かしました。

その怖さに僕は、「髪の毛が無い事はいけない」、「僕の頭は間違っている。僕はダメなんだ。」と思う日々でした。

つまり僕の髪の毛、いや、髪の毛だけじゃなく、心、自分を完全に否定して、

ただひたすら元の髪の毛のある自分に戻ろうとしていたのです。

転々として大学病院まで行きましたが、なぜ僕がこうなったのか、今の医療も先生も原因が分からないでいました。

必ず治るという治療法もなく、辛い治療をしました。その辛さは、自分が押しつぶされそうな辛さでした。

そうしている内に、僕はふと疑問が生じました。

「髪の毛が無い事は悪いんだろうか?」

「髪の毛が無い事が可哀そうなのか?」

そう思ったんです。

周りの人々からの「病気なのに頑張っているね。偉いね。病気に負けちゃダメ」という言葉が僕には、

「頑張れ!病気を乗り越えろ!病気と闘え!今の自分はだめだ。健康じゃないといけない」

と感じました。そう感じた中での疑問でした。

「髪の毛が無い事は悪いんだろうか?」疑問を持ちながらも、周りの人々からの言葉に

押しつぶされそうになり、その疑問は心の奥の方に行ってしまいました。

いつしか僕は、病気に負けない自分を装っていました。

本当の僕の気持ちを隠し、どこか寂しさを感じていました。

そして、僕が7歳の時に小児ネフローゼ症候群を発症し、

いきなり入院して環境も変わり、また漠然とした怖さと情景だけがあるのでした。

小児ネフローゼ症候群は腎臓の病気です。

僕の場合、再発を繰り返す頻回型で小児慢性特定疾患の一つです。今も完治はしていません。

寛解という見かけ上、症状は消滅していますが、再発の危険性があるという状態です。

再発しないように今も大量の薬を飲んでいます。それでも僕は時々、再発してしまいます。

そして再発すると体に水分がたまり、むくみます。

むくみ続けると危ない状態になるので、ステロイドという薬を飲みます。

そうすると体の中だけではなく、外見も急に変わってしまいます。

ネフローゼという病気は、今は死ぬ事はほとんど無いようですが、

ステロイドなどの薬がほとんど無い時代は亡くなる方もいたそうです。

だから、どんなに副作用があっても、今の医療ではステロイドを飲まないと死んじゃうよ

とぐらいまで言われるのです。

薬というのは絶対に副作用があります。

ステロイドの副作用は食欲が出る事、そして、顔が丸くプクッとなるムーンフェイス、

更に脂肪の成分が作られやすくなり、お腹がナスのようにぽっこりになります。

その通り、僕は操られるように食欲が出て、顔も丸くムーンフェイスになり太りました。

そして、周りの人々に「太ったね」と言われます。

説明する気にもなれず、笑ってやりすごしています。

時には薬の副作用なんだと説明しますが、その人は食べると太るという概念しかなく、

頭に入らないようで信じてくれません。

なので、僕まで薬のせいにしているだけじゃないかと思いますが、

薬が減ると魔法のようにみるみる体重が変わるので、やはり薬の作用とわかります。

それと、僕は昔ほっそりしていた時期があったのですが、その時にもやはり

「大丈夫か、まんま食ってらんか?」

と冗談まじりに言われました。普通という定義は難しいですが、普通の人とちょっと違ったり、

僕の体重や外見が変わるたびに言われるのです。

そうすると、僕はあまりにも今の自分の外見を否定されるような事を言われるので、

自分の存在を心の中で消してしまいそうなりました。

そして、自分の範囲もどんどん狭くなっていきました。

でもそんな時、僕を好きでいてくれる人が、髪の毛がない倫太郎を「倫太郎」として

受け止めて初めてそのままの僕を認めてくれたのです。

実際にそう言われたわけではないのですが、僕のまるごとの存在を認めて一緒に過ごしてくれた、

そんな事でその思いは僕に伝わりました。僕はその事に気づき、初めてそこに生きたのです。

人と言いましたが人だけではなく一緒に暮らすビーグル犬のはなちゃんや十日町の風土も、

僕の存在をそのまま受け止めてくれる存在です。犬も風土も話しはしませんが、僕には通じるのです。

ここで余談ですが僕の頭のお得な面をもう一つ。

今、ニューヨークではスキンヘッドが流行っているみたいですよ。(笑)

僕は流行の最先端を行っているのかもしれません。

あと、たまにインドカレー屋に行く事があるのですが、

毎回インド人に握手を求められたり好かれたりします。

この前は、内気そうな厨房にいるインド人のシェフがわざわざ来て握手を求められました。

最近思ったのですが、修行中のお坊さんと思われているのかなと思います。

僕自身、お寺や神社とか大好きなので嬉しいです。

僕はニューヨークかインドに行ったら、たちまち人気者になれるのかもしれません。

そう思うと、僕の頭はお得な面もありますよね。

僕は、こんな風に円形脱毛症を発症してから今まで過ごしてきました。

今回お話しした事はほんの一部ですが、僕は僕なりに色んな事を考えてきました。

そして、病気を通して人生を通して「病気って何?健康って何?生きるって何?」と考えてきました。

それは今も続いている疑問です。答えは分かりませんが、この疑問は僕にとっての宝物です。

僕は、病気という名の付くものを二つ与えられました。

病気という言葉はマイナスイメージで、健康という言葉はプラスイメージですよね。

だって今、健康ブームですから。(笑)

でも、僕は健康第一という考えは合わなく嫌いです。

僕は、病気だって人間そのもの、僕そのものだと思うんです。

病気とは面白いもので、ただ健康とは対極のものではなく、今生きている事を知らせてくれる、

示してくれるものでもあると思うんです。

だって、病気とは生きている中で起こるものなんですから。

だから、健康第一という考えは病気を否定というか、今生きているそのもの、そのままの状態、

病気や痛みや感情をダメですよと言っているようなもんです。

僕は、ただ健康になるために生きているんじゃなく、病気でもなんでも生き抜くという事、

これが本来の「生きる」なんだと思います。

この健康に対する僕の考えは、外見に対しても共通していると思います。

僕は、髪の毛が無い事で笑われたり、いじめられたりします。

または、「見た目を気にしない、強い心を持ちなさい、乗り越えよう」という事が美徳とされている世の中です。

外見でからかわれたりする事は、僕を自分を完全に否定されているという事です。

そして、外見を気にせずに乗り越える事が美徳とされる事は、僕にとって更なる否定なんです。

僕には二重の否定なのです。でも、見た目は良くも悪くもやっぱり自分なんです。

見た目は僕の一部なのです。見た目の良し悪しを乗り越えるというのは、

自分の生きる事を存在を殺すことですからものすごい事です。

僕は自分の存在を気にしないという事はできませんから、やっぱり見た目も気にします。

でも、見た目を気にしても気にならない時でも、何してもそこに自分の存在、自分の心がありたいと思います。

自分であるということは、そういうことなのです。

僕は見た目、見た目と言ってきましたが、自分であるということは、見た目が本質なのではなく、

目に見えないものが本質ではないかなと僕は思います。

だから、見た目のことは僕の見た目に問題があるのではなく、

目に見えないところに本質があるんじゃないでしょうか。

見た目などのいじめの問題はなくならないと思いますが、

自分であることを認めてくれる人が一人でも増えればなと思います。

みなさんもその一人となってくれれば嬉しいです。皆さん本当に読んでくださってありがとうございました。

そして、僕を初めて認めてくれたビーグル犬のはなちゃん、

十日町の風土、そして僕が出会えたみなさんにありがとうを言いたいです。

そして、もう一度、読んで下さったみなさんに感謝します。




(別府社長の手帖 第4回「見えないところに本質がある」終わり)







別府社長の手帖いままでのタイトル

第1回「そこに居る光」2013-7-21更新

第2回「今を得るだけでは得られないもの」2013-7-28更新

第3回「生きるって何?死って何?病気とは何?」2013-8-7更新

第4回「見えないところに本質がある」2013-9-22更新

第5回「ボーっとすること」2014-9-22更新

第6回「カメラのこと」2014-5-31更新

第7回「ペロペロ、ソフトクリーム」2014-5-31更新

第8回「みそ汁、するする」2014-6-16更新

第9回「限界とぼく」2014-7-5更新

第10回「息子のまなざし」2014-7-13更新

第11回「分からないことの存在」2014-9-17更新

第12回「聞くと書く」2014-9-19更新

第13回「いじめという意見」2014-9-19更新

第14回「小さな火のなかで」2014-9-30更新

第15回「一番目の事実」2014-10-2更新

第16回「毎週金曜日」2015-1-30更新

第17回「ひきこもり計画」2015-2-6更新

第18回「寒ブリと焼き芋」2015-2-13更新

第19回「倫太郎のゆめ」2015-2-20更新

第20回「原稿一枚分の詩」2015-2-27更新

第21回「ライフ・イズ・ビューティフル」2015-3-6更新

第22回「体の反応」2015-3-20更新

第23回「石とぼく」2015-3-27更新

第24回「蚊に刺されて」2015-6-2更新

第25回「最後に」2015-8-9更新




別府新聞ホームへ戻る