|


別府社長の手帖17
「ひきこもり計画」
文章 別府倫太郎 2015年2月6日更新
ぼくは、今、自分の部屋に居る。
ひきこもりを決行するために。
本が読みたいがために自分の部屋でこもっている。
とういうのも、ぼくが何をしていいかわからない、という時に
「そうだ!こもって、読みたい本を読もう」そんな、思いつきが
あったためにここにいるのである。
石油ストーブを自分の部屋に置き、その上にやかんをおき、
そして、急須と湯呑みを用意し、お茶っ葉を用意し、
カップラーメンを切り札として用意した。
これはすべて「かっこいい人たち」の小酒井文祥さんの
助言によって、やってものである。
本が大好きでこもって読んでいた、という文祥さんに
どうやって、こもったんですか?というと
カップラーメンをもってこもった、と答えてくれたので
ぼくもそれによって、準備したのだ。
そして、肝心の読んでいる本は、鶴見俊輔の「期待と回想」や
「中谷宇吉郎随筆集」などさまざま。
ただただ、本と向き合って、夢中になり、どんどん時間が
過ぎていった。そして、今、その中間点にいるのだが
正直、とても疲れた。昨日の夜から本を読んでいるのだが
昨日は「中谷宇吉郎随筆集」に夢中になって、夜の2時くらいまで
読んでしまい、それから午前中はずっと本を読んでいた。
無理もない日程である。なので、ぼくは疲れて本を
読めなくなりなくなく「ひきこもり」をやめて、今、文章を
書いているのである。ぼくの「ひきこもり計画」はほぼ半日に
して終わってしまった、ということだ。
しかし、読書の中で不安や驚きを感じ、ただ楽しいだけではない、
不思議な自分の世界に入っていくのは、とても面白い。
これには自分も叶わない、というようなすごさをもった本を
読むと、いつもそのことに気づかされるのだ。
その中で、節度を守り、言葉の中に入っていく。
これほど、中毒性のあるものは中々、ないだろう。
そして、本を読むというのは、ただその作者が行っている事を
鵜呑みにすることではない。
その作者がどんなに好きで尊敬している人でも、本の中に
書かれていることを自分の中で一度、考え、「応え」をだす。
本を読むことはそういうことでもあるのだ。
自分の世界と本の世界の混じりあったようなそんな所に自分の
意識が入っていく。その中で出てくる「矛盾」のようなものを
見つけ、それを楽しむ。変なたとえだが、本を読むことは矛盾、
つまり「わからないこと」を見ることでもあるのだ。
それは、新しいこと、というわけでもないのだが、
本を読み、自分の世界にぐるぐると入っていき、その中で見る
「わからないこと」である。
そのことは、そのこととして自分の中にとっておく。
そして、不思議とそれが無意識の所でこなされ、自分の言葉と
なっていくのである。今回、自分の部屋でこもって読んでみて
それがよくわかったな、と思う。
本を読むということは本に向かうことだけではなく、
ボーっとしていたりするその時間も「読む」ことなのである。
なぜなら、本に書いてあることというのは、自分のことでも
あるから。その人が書いたことと自分はどこかで
繋がっているのだ。先ほど言った、自分の世界と本の世界の
混じりあいである。不思議なように感じるかもしれないが、
それがぼくの思いなのだ。
それが今回、ひきこもってみて感じたことである。
残念ながら「ひきこもり計画」は失敗に終わったが
それにこりずに、ぼくはこれからも虎視眈々と「ひきこもり
計画その2」を実行する機会を伺っている。
どんなにバカかと思われそうだが、ぼくはこれからも
真面目にやっていきたいと思うのだ。
作者
別府倫太郎 プロフィール

2002年12月5日生まれ。
新潟県十日町市在住。
3年前から始めた「別府新聞」の社長でもあり、
別府新聞のたった一人の社員でもある。
「学校に行っていない思想家」「ポレポレぼうや」など
色々な呼び名がある。