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別府社長の手帖6「カメラのこと」
文章 別府倫太郎 2014年3月21日更新
ぼくが大切にしていたフィルムカメラが、こわれた。
いや、こわしてしまった。
イスに置いといたカメラが、落ちてしまって、
「ガッシャン!!」という音のもと、こわれてしまったのだ。
こわれてしまった直後は、本当にショックで立ち直れなっかた。
何も考えられなくて、あたまがモヤモヤしていた。
本当に倒れそうだった。
でも、これを読んでいる皆さんは、「そんな、大げさな」と思うだろう。
だけど、このカメラは、僕にとって、ただのカメラではなく「家族のようなもの」なのだ。
この「家族」とも言える、カメラとの出会いは、2年前。
ある友達から、このカメラをもらったことから、始まりました。
その、もらったカメラは、フィルムカメラ。
「フィルム」という言葉さえ知らない、僕の世代にとって、ある意味、新しい世界でした。
そして、さらに、ピントやシャッタースピードなども、全てマニュアル。
だから、最初は、とまどったりしました。
だけど、どんどん、どんどん、使っていくうちに、そのカメラが、
僕の体の一部のようになっていった気がします。(上手い・下手とか、関係なく)
なので、撮らないときも、撮るときも、いつも、カメラと一緒。
僕の肩から、ぶらさげています。
ところで、このカメラ、大きくて、重たいカメラなので、
「重たいでしょ?」と、よく聞かれるんです。
たしかに、おもたいカメラだけど、その「おもたさ」が、また僕にとって、良いんですよね。
何というか、「モノ」という存在感があるというか、すこし不格好だけど、
人が一生懸命に作った、という感じがするのです。
「たましい」が込められているっていうのかな。
まぁ、とにかく、この感じ、何となく、分かるでしょう?
僕の友達(おじさんだけど)も、「この感じ」をこう言ってました。
「良いものっていうのは、見ているだけで良いんだよね」
モノ自体には、なんの意味もないけれど、そこにたましいが、
込められると「良いもの」になる。そんなことを思う言葉です。
今、こわれてしまって、修理に出しているからこそ、さっきの言葉で言う、「良いもの」
つまり、カメラのことを一層、思いなしたというか、
会いたくなったというか・・・まぁ、とにかく、このカメラと、ずっと一緒に居たいな、と思いました。
あと、カメラをこわさないように、気をつけないと。(笑)
でも、考えかたによっては、今回、カメラをこわしてしまったのも、
こうやってカメラのことを考えたり、書いたりできたので良かったな、と思ってます。
次は、こわしたくないですけど。(笑)
まぁとにかく、カメラがもどってきたら、抱きしめたいな、と思っています。(笑)
あと、もし、僕に会ったなら、そのとき、カメラにも挨拶してくださいね。