「かっこいい人たち」は、だれにでも「かっこいい」と思われる人じゃない。

ポレポレと話しを聞ける人。(ポレポレはスワヒリ語で「ゆっくり」)

自分の中に「見る」目をもっている人。

それが、その人の奥深くにある「かっこいい」ということ。

この「かっこいい人たち」では僕、別府倫太郎(通称ポレポレぼうや)が

「かっこいい人たち」を取材し僕の「目線」でお伝えします。













詩人

岩崎航さんプロフィール


1976年1月、仙台に生まれる。仙台在住。

3歳ごろに症状があらわれ、翌年に

「進行性筋ジストロフィー」と診断される。

胃ろうからの経管栄養と人工呼吸器を使用し、自宅で暮らす。

2013年7月、詩集を刊行。

岩崎航「点滴ポール 生き抜くという旗印」(ナナロク社)

航のSKYNOTE http://skynote21.jugem.jp/









プロローグ 「僕の旗印」

文章 別府倫太郎


岩崎さんのことを初めて知ったのは、去年の5月でした。

第3回「かっこいい人たち」に出てもらった齋藤陽道さんと

会ったとき、「今度、ぼくの写真が使われる

「点滴ポール」という詩集が出るんだ」と話してくれたのです。

そう、「点滴ポール」の写真は齋藤陽道さんが撮ったもの。

そして、陽道さんは、岩崎さんのことを色々と話してくれました。

そのときは、ポカーンと聞いていただけだったのですが、

何となく僕の心のなかに岩崎さんのことがのこっていました。


そんな、こんなで、月日が流れていた、ある日。

僕は、「病室」に居ました。

持病の小児ネフローゼで、また、入院することになったのです。

そのときは、かなり病状が進行していたので、

ぼくの腕に「点滴」がつけられました。

もう、「医療」というものに、嫌気がさしていました。

本当に屈辱でした。いやでした。

だけど、そんな中、僕は1人で、考えたのです。

いやになるほど、考えて、いやになるほど、

色んな思いをめぐらせたのです。そこで、思ったことがあります。

「生き抜いている」ということです。

人間は、生物は、いつか亡くなるもの。

そのなかで、いかに「生き抜く」か。

それが、「生きる」ということだとおもいます。

そして、「点滴」というものも、「入院」というものも、

「芸術」というものも、「音楽」というものも、

「哲学」というもの、「医療」というものも、

みんな、その「生き抜く」ためのものだと思うのです。

だから、それをつかって、どうにか、こうにか、

「生き抜く」。

今の自分は、こういう状態だけど、「生き抜い」ているんだ、

そう、思ったのです。

そうしているうちに、病室にある、荷物が届きました。

頼んでおいた「点滴ポール」が、届いたのです。

そして、「点滴ポール 〜生き抜くという旗印〜」

という題名を見ました。

それだけで、何というか、ヘンな言い方ですけど、

納得したというか、共感したというか・・・

とにかく、「生き抜く」という言葉を見ただけで、

もう、そこには、グッとくるものが、あったような気がします。

そして、詩を一つ一つ、じっくり読んでみると、

日々、僕が考えてきたこと、が、「点滴ポール」の

1ページ、1ページに、びっしりと書かれているのです。

岩崎さんは、これだけ考えて、考えて、

そのことをこれだけ、ストレートに伝えている。

もう「言葉」ではなくて、「岩崎さんの声」を

聞いているような感覚なのです。

ですが、いつしか、岩崎さんの生の声が聞きたい、

会ってみたい、という自分が居ました。

そのときは、ただ思っていただけですが、

齋藤陽道さんが、僕に「3人(岩崎さん・陽道さん・僕)が

一緒に居る姿がうかぶ・・・」と、ふと話してくれたのです。

つまり、「岩崎さんに会いに仙台に行こうよ」と。

それから、僕たちは、岩崎さんに会いに、

仙台に行くことにしました。

これは、そのときの岩崎さんとの対談です。













「そのままに」


僕の質問・疑問

病気の人を取材した、新聞やTVを見て思うのだけど、

良いところだけというか、善というか、偽善というか・・・

そういうところしか、取り上げてないと思うんですね。

だけど、「点滴ポール」は、良いとか、悪いとかではなく、

本当に「そのまま」だと思うんです。

岩崎さんの言葉が、どストレートに伝わってきたんですね。

つまり、点滴ポールの「そのまま」が、僕には、グッときたんです。

たぶん、「点滴ポール」が、なければ、今の自分は無いと思います。




岩崎さんの答え

そういうふうに読んでもらえることが、本当にうれしいです。

倫太郎くんが、この本に出会えて、そんな、気持ちに

なってくれたことが、本当に良かった。

この本をだすにあたって、自分のことを全て書かなきゃ

いけないので、いろんな葛藤があったのだけれど、

倫太郎君に、届けることができて、本当にうれしい。




僕の質問・疑問

嬉しすぎて、ちょっと・・・(嬉)




岩崎さんの答え

やっぱり、病気を持っている人にしても、

どうしても、悩むというか、葛藤すると思うんですね。

そんな中、ぼくが年を重ねるにつれて考えてきたことが

あるのだけれど、「病気・病」っていうのと、

「病魔」っていうのがあると思うんです。

そして、「病」と「病魔」というのは、

全く違うものじゃないかなと思っているんですね。

最初のころ、本当に自分のことを、そのままに、

受け入れられなくて、やっぱり「病」というものと、

闘っちゃっていたと思うんです。

だけど、「病」というのは、生きていれば、絶対、

誰にだって起こる事だし、誰にも避けられないことだと思うし、

生きていることの中に「病」というものが、

起こると、定められていると思うんです。

だけど、それなのに「病」と闘って、喧嘩していってしまうという

ことは、やっぱり自分を打ち消すしかなくなってしまうんですね。

自分が、いなくならない限り、「病」というのは無くならないからね。

それだと、いつまでたっても、苦しい。

何で、自分だけこうなんだろうと、どうしても、

そういうふうになっていって、どんどんどんどん、

がんじがらめになって、前に進めなくなって。

だけど、「病と闘う」んじゃなくて、「病魔と闘っているんだ」

そういうふうに、今、思うようになったんです。

それで、そもそも、「病魔」っていう言い方は、

なんなんだろう?と考えたんですね。

それで、「病魔」というのは、生きること、というか、

「生きよう」とするということを妨げるような、

気持ちなり動きなり、そういった、形あるものだったり、

形ないものだったり・・・色々だと思うんです。

そして、そういう、はたらきのことを、「病魔」と

呼ぶんじゃないかと思います。

むかし、自殺しようと思ったときがあったんですね。

そのときは、本当に「病魔」に負けてしまっていたと思うんです。

ほんとは、「そのまま」で生きればいいのに、

色々、考え込んでしまって、絶望してしまって、

生きていても、しょうがないと思ったんです。

それは私のなかで生まれてしまった、

そういう気持ちでいたことが、「病魔」だと思います。

だけど、なんというか、そういうものと、

闘っていくんじゃないかと思うんですね。

今、この年になって、こうやって、生きてきて、

今は、もう自殺をしたいと思ったことは一度もないんだけれども、

だけど、本当に追い詰められてしまって、

本当に自分で抱えこんでしまって、本当に苦しい状況のとき、

もう、自分を消し去ってしまえば、なんか、

全部、解決するのではないか、みたいな

そういうふうな思いというか、そういうふうな、なんでしょう・・・

とにかく、理屈とかを超えて、湧きあがってくるときがあるんです。

だけど、そこで、とどまって考えてみると、

そうゆうのって、「病魔」だと思うんです。

本当に理屈ぬきで、自分を消し去ってしまえというか、

また存在の是非が湧いてきて、疲れてきたりとか、

苦しい思いをしたんですね。

そして、そういう自分を見ていることは、ほんとうに辛い事です。

ただ、そういうときに理屈を超えたような、

気もちが湧きあがるときが、私の病気の筋ジストロフィーという

体の病気以上に、怖い。

だから、「病魔」と闘っているということが、

「闘病」だと、思っています。

だから、そういう面では、倫太郎くんも、きっと、僕に近いと思う。

きっと、僕の同じような思いをもって、

一生懸命、色々なことに取り組んで、

生きているんじゃないかなと思う。

だから、そうだから、きっと、本当に「ストレート」に受け止めて

本当の意味で、読んでくれているんだなぁ、と。

それが、よくわかって、そして、会えて、本当に、嬉しいです。

こちらこそ、お礼を言いたいです。

「ありがとう」って言いたいです。









「かっこいいということ」



僕の質問・疑問

本を読んで、思ったのが、

生き抜くという旗印が、なびいている

岩崎さんの姿を見て、「かっこいい」なという気持ちが

生まれてきたんです。

「かっこいい」なんて、ヘンな言い方かもしれませんが、

なんというか、「教えられた」とか、そういうのではなくて、

ただ単に「かっこいい」な、と。

今日も、会って、もっともっと「かっこいい」なと思って。

言葉には、表せられないんですけど、

自分のなかに、岩崎さんの五行詩で出てくる、

「熾火」というか、そういうのが、自分でも少し見えてきたんです。


その五行詩、「熾火」を読みたい方は、下記のURLへ
http://skynote21.jugem.jp/?page=6&cid=5



別に、でっかいものじゃなくても、

(熾火が)そこにありつづければ、いいんだって、思えたんです。

だから、そういう熾火を感じられて、

楽になったというか、「誇り」になったというか・・・

自分のことをそういうのは、ヘンだけど、(笑)

岩崎さんを通して、僕も、旗印をなびかせて、

「かっこよく」なれるんだ、と気づいたんです。












僕もまだ、言葉に表せられない部分が、

あるのですが、今回、会ったことを、「かっこいい」ということを、

「熟成」させて、別府新聞にのせたいと思っているんですね。

その「言葉」つながりで、聞きたいのですが、

岩崎さんが、五行詩を書いているときは、

言葉とか、ものすごく、考えて作るんですか?




岩崎さんの答え

考えて書くっていうより、

うかぶというか、そういう感じのほうが強いかな。

だけど、色々、湧いてくる思いが

おりにふれて、あるので、 それは、

いつ書いているとか、そういうのでは、なくて、

そういう思いをたくさん、 「言葉のかけら」みたいなものを、

僕の場合、パソコンに書き留めておくんです。

そこから、しばらく置いておくこともあるし、

そのまま「うた」になるときもあるのだけれど、

だけども、僕もゆっくり、言葉を考えてというか、

さっき、言っていたとおり、言葉を「熟成」して、

言葉を、ゆっくり、出していきたいと思っています。

だから、(倫太郎くんと)似てるよね。(笑)




僕の質問・疑問

「似てるね」って言われていいの・・・(嬉しい)

でも、岩崎さんは、本当に「かっこいい」と思います。

本っていうのは、普通に考えると、「言葉」を読むのだけれど、

岩崎さんの詩っていうのは、言葉じゃなくて、

「たましい」が込められているっていうか、

何か、一気に、ばーって読めてなくて、

1つずつ、ゆっくりと読んでいきたいという 思いが、あるんですね。

一つ一つは、短い詩なんだけれども、

100文字でも200文字を読んでも、わからないことが、

もっと大きなことが、岩崎さんの詩のなかには、あると思うんです。

そういうのを、感じたくって、じっくりと読ませて

もらったんですけど、岩崎さんの詩が、大好きというか、

読んでて、嬉しい気持ちが湧いてきたんです。

だから、読んでて、「言葉」っていう、言葉が、

本当にあっているのか、て思うくらい、

「たましい」が込められている詩で、

今日はその岩崎さんに会えて、

詩で、感じてきたことが、自分のなかで、

ピタっと合ったというか、本当に一つ一つの言葉っていうのが、

一文字でも、二文字でも、何文字でも、

これだけ、言葉をきっかけにして、色んな人に会えたり、

言葉の奥にある「力」というか、

そういうものを今回、感じさせていただいたような気がします。

  力強いとか、そういうのじゃなくて、

本当の「生きる」っていうのが、バンと、伝わってきたんです。

だから、入院のとき決意できたり、

こうやって、会うことができたと思うんです。

たぶん、これが「かっこいい」という感じだと思うんですね。




岩崎さんの答え

そういうふうに思ってくれて、本当に嬉しいです。

本当に、本当に、ありがとう。

















別府倫太郎の締めくくり


今回の取材での、キーワードは、「病魔」だったと思います。

「病」と「病魔」との違い、「病魔」とは?など、

岩崎さんが、今まで、感じてきたことを話してくれました。

辞書には、のっていない、のせられない、

生の「病魔」の意味というか、

岩崎さんしか言えない、「病魔」の話しを聞かせてもらいました。

もちろん、「病魔」というのは、辞書にも、のっているのですが、

僕にとっては、1人1人が、それなりの解釈をして、

「考える」文字だと思うのです。

じつは、もう一つ、そんなような「字」を見つけました。

そして、その「字」と対面したのです。

その「字」と出会ったのは、

岩崎さんに会いに、仙台に行った帰りのこと。

友だちに、すすめられた、松島の「瑞巌寺(ずいがんじ)」 というところで、でした。

行ったとき、たまたま、特別展みたいなものがあって、

入ってみると、伊達正宗公の位牌など、色々、あったのですが、

僕が、一番、何となくなのですが、惹かれたのは、

「関(かん)」と書かれた、書でした。












下に書いてあった、「関(かん)」の説明みたいなものを読んでみました。

すると、「これ、どこかで、聞いたような気がするなぁ」と

ふと、思いました。

しばらく、ながめていると、

僕は、その「どこか」を思い出しました。

そう、今回の岩崎さんに会ったときです。

その説明には、こう書いてありました。


「関(かん)は、鎖し、侵入を防ぐこと。

その閉ざされた場所を如何(いか)に通るかが、

禅の問題としてあり、家屋の入り口を「玄関」というのは、

この問題に発している。」



僕は、この説明をみて、「病魔」のことを思い出しました。

それから、僕は、何かを探ろうと、

じ〜っと、「関」を見つめ続けていました。

何かに、惹かれ続けて、見てました。

でも、「関」の深い意味は、わからずにいました。

その、帰りの新幹線でも、お茶を飲むときでも、

ふとしたときに考えていたのですが、やっぱり、わからない。

もっと、深い意味をしりたいと思いました。

そこで、知り合いのJAZZが、好きな、お坊さんに聞いてみることにしました。

すると、その、お坊さんは、

「関というのは、意味が、ないんだよ」と言いました。

その言葉を聞いた瞬間、「気楽でいいんだ」と僕は思いました。

そして、ちょっと気づいたことが、あります。

「1人1人が、解釈し「考える」字」だということです。

でも、これだけでは、「わけ」がわからなくなるので、

そのお坊さんは、「玄」の「関」も、「所(せきしょ)」の「関」も、

東・西」の「関」も、みんな、その「関」なんだよ、と

説明してくれました。

ここで、何か、共通点が、うかばないでしょうか?

そう、みんな、何かの「区切り」だったり、「砦」だったりしますよね。

瑞巌寺で、見た説明の


「関は、鎖し、侵入を防ぐこと。

その閉ざされた場所を如何(いか)に通るかが、

禅の問題としてあり、家屋の入り口を「玄関」というのは、

この問題に発している。」



を読んでも、やっぱりそうですよね。

でも、これは、決して「意味」では、ありません。

「関」というものを、もしくは、「病魔」というものを、

考える、「ウオーミングアップ」だと思ってください。

それで、その「関」に対する解釈なのですが、

ある偉いお坊さんは、

「関を通ると、仏の世界に行ける」 とか言っていたり、

修行を終えた、修行僧に、お坊さんが「修行、どうだった?」と

聞いたら、いきなり

「関だ!!」と言ったりと、

まぁ、とにかく、「不思議」な言葉だと思うのです。

でも、なんというか、その不思議さに惹かれるというか、

「意味がない文字」なので、自分なりに解釈しなきゃいけない。

だから、面白いのですが、

皆さん、読んで、意味が分からない部分があるかも、しれません。

ですが、その「わからない」部分を考えてみたり、

話してみたりすると、「わかる」以上の「何か」が

つかめると、思います。


「わからないことが、けっして悪いことではない。」


そう、「関」に、ささやかれた、ような気がします。

岩崎さんの考え、「関」の考え、「病魔」のこと。

わからなくても、良い。

逆に「わからない」のが、チャンスだと思うのです。

ちなみに、もちろん、僕もわかっていません。

でも、だからこそ、「関」のこと、「病魔」のこと、

1人で、考えてもいいし、おばあちゃんに聞いてもいいし、

お寺に行ってもいいし、なんでもいいので、

ふと、岩崎さんのこと、「関」のことを

あたまの中に置いといてみること、それが、大事だと思うのです。

そしたら、きっと、あなたなりの「関」、

あなたなりの「病魔」が、出来ているはずです。

そして、今回、岩崎さんと話して、僕なりに、気づいたのは、

岩崎さんは、「意味」を求めていない、ということ。

岩崎さんの「病魔」、岩崎さんの「ことば」が出来ているわけです。

僕も、まだ、そこには、全然、行けていないのですが、

別府新聞という場を借りて、

「言葉にできないことを言葉にする」ということを

していきたいな、と思います。

今回は、それに気づけただけでも、本当に良かったです。

まだまだ、「締めくくり」が、書けそうなのですが、

あんまり「締めくくり」が長いと、「締め」じゃなくなっちゃうので、

そろそろ、終わりにしたいと思います。

最後に、岩崎さん、そして、岩崎さんのお母様・お父様・

ヘルパーさんに感謝して終わりたいと思います。

本当にありがとうございました。



(第四回「かこいいということ」終わり)











作者

別府倫太郎 プロフィール




2002年12月5日生まれ。

新潟県十日町市在住。

3年前から始めた「別府新聞」の社長でもあり、

別府新聞のたった一人の社員でもある。

「学校に行っていない思想家」「ポレポレぼうや」など

色々な呼び名がある。








かっこいい人たち いままでのタイトル

第一回 「聞くということ」 2014-1-10更新

第二回 「自分の時間の使いかた」 2014-2-8更新

第三回 「まなざしの声」 2014-3-6更新

第四回 「かっこいいということ」 2014-5-23更新

第五回 「大切にしてくれるもの」 2014-8-30更新




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