「かっこいい人たち」は、だれにでも「かっこいい」と思われる人じゃない。

ポレポレと話しを聞ける人。(ポレポレはスワヒリ語で「ゆっくり」)

自分の中に「見る」目をもっている人。

それが、その人の奥深くにある「かっこいい」ということ。

この「かっこいい人たち」では僕、別府倫太郎(通称ポレポレぼうや)が

「かっこいい人たち」を取材し僕の「目線」でお伝えします。













写真家

齋藤陽道さんプロフィール


1983年、東京都生まれ

石神井ろう学校卒業

写真集「感動」(赤々舎)、「宝箱」(ぴあ)

齋藤陽道HP: http://www.saitoharumichi.com/

twitter @saitoharumiti







プロローグ 「陽道さんとポレポレぼうや」

文章 別府倫太郎

今回の「かっこいい人たち」は、僕の友人(?)の写真家・齋藤陽道さん。

このコーナーを作るにあたって、「絶対に」取材したかった人です。


まず、僕と陽道さんが出会ったことから、話しますが、

陽道さんと僕が初めてあったのは、一年前のこと。

それから、色々な所へ行ったり、

陽道さんの写真展に行ったりして今に至るのですが、

陽道さんと初めて会ったとき、ものすごく「うれしかった」ということをおぼえています。


何が、「うれしかった」というのは、上手く言えませんが、

別府倫太郎と齋藤陽道という、「そのまま」の立場で、

話せたことが、うれしかったんだと思います。

つまり、「11才の倫太郎君」とか、「病気があっても頑張っている倫太郎君」とか、

まぁ、色々なことを言われてきて、疲れていた自分にとって、

陽道さんと会ったとき、やっと、「別府倫太郎」という

本当の自分になれたのが、うれしかったのです。

そして、陽道さんとは、世界を深く、まっすぐに見れる人、

「そのまま」を見れる人なんだなと思いました。

いい意味で、ものすごく単純な人、混じりけのない人、だと思っています。


さて、そんな陽道さんですが、

前に僕の紹介文を書いてもらったことがあります。

いきなりですが、とても、陽道さんらしい文章なので、

少し紹介したいと思います。








「別府倫太郎の紹介文」

齋藤陽道 2013年9月13日

倫太郎さんはシュッとしています。

自分ではどうにもならないのろのろを骨身で知っているからこその、

シュッとした研ぎすまされた動きかたを知っている人です。

ちなみにシュッのなかには空のうつろいに近いリズムの

ポレポレとした時間も含まれていて、

そこがとてもすごいです。

シュッとポレポレなひとなんです。


背たけは僕の半分くらいです。

ですが、僕はわざわざかがんだり、はいつくばったり、

ひっくりかえったり、しなければならないような

位置にあるものたちを対等のまなざしで見ることができています。


別府倫太郎。

彼のまなざしと動きかたは大地に近くて、

それにふれるたびに僕は世界を思い直すことができます。



いかがだったでしょうか?

この文章を読んだとき、これほど、ぼくのことを見てくれていて、

そして、考えてくれていたんだと嬉しくなりました。

もう一つの陽道さんを垣間見れた気がします。

でも、僕は、この文章を読むたびに、

陽道さん自身の自己紹介文のようにも思えてきちゃいます。(笑)


さて、僕の紹介文を読んでもらった後に、

陽道さんの紹介をちょこっとさせてもらいたいと思います。


まず、陽道さんの職業(?)は、写真家。

でも、この記事を読んでもわかると思いますが、

陽道さんは、あくまでも、陽道さん。

その証拠に、毎回、会うたびに話すのは、写真のことではなくて、

陽道さんの考えとか、僕の考えとか。

写真は、陽道さんと会う「きっかけ」にすぎないのです。

陽道さん自身、

「いろんな動物、いろんな人、いろんないのち、と会いたいから写真を撮っている」

と言っています。

僕は、この言葉を聞いて思ったのは、写真は、体の一部にすぎないんだな、ということ。

写真を撮ることは、陽道さんにとって、呼吸をするようなことなんだな、と思いました。


さて、そんな、陽道さんですが、もう一つ言っておくことがあります。

それは、生まれつき耳が聞こえない、ということ。

だから、毎回、筆談をして、話します。

もちろん、今回もそうです。でも、筆談も中々、良いですよ。

ま、「良いですよ」という言い方は、ヘンかも知れませんけど、

自分の伝えたいことを恥ずかしがらずに、伝えられるというか、

英語を話していると別の人柄になれるのと同じで、

新たな別府倫太郎が、見出せるような気がして、僕は好きです。




▲僕と陽道さんの筆談の様子 (ワタリウム美術館にて)



さて、そんな「筆談」ですが、

前に、その「筆談」を生かした、イベントをしたことがあります。

それは、陽道さんの写真展「せかいさがし」でのこと。

写真展のオープニングイベントと題して、

筆談トークを陽道さんと僕とで、やったのです。

話したことは、妖怪のことや、ボーっとすること、など。

ちなみに、「かっこいい人たち」の冒頭でも出てくる

「ポレポレぼうや」も、この筆談トークで、つけられた名前なのです。

今回、その「ポレポレ」のことも話します。


そういえば、後、「モモ」のことも話しますよ。

「モモ」について、知らない方は、

前回の「かっこいい人たち」のプロローグ「僕とeboard」
をお読みください。

では、僕と陽道さんとの筆談トーク、

楽しんで下さいね。

「せかいさがし」別府倫太郎×齋藤陽道 筆談トーク 文字おこし

齋藤陽道 ホームページ









「まなざしの声」



僕の質問・疑問

いきなりですまないのだけれど、

ぼくは、新潟県の十日町市という所に住んでいます。

この十日町は、豪雪地としても有名なんですね。

冬になると一面が「銀世界」になるんです。

今回、聞きたいのは、その「銀世界」にいると

とても、「不思議な気持ちになる」ということです。

その、不思議なこととは、銀世界にいると、

雪が音を吸収する性質があるため、ほぼ「無音」みたいな感じなんです。

だけど、その無音のまえに立っていると、自然のリズムみたいな

「無音のなかの音」が、僕には聞こえてきたんです。

そして、またまた不思議なことに、陽道さんの写真を

見ていても「無音のなかの音」みたいなものを感じるんです。

陽道さん自身が、そういったことを感じているんでしょうか?

(長くなりました)



陽道さんの答え

では、まず「ぼくの聞こえ」を説明しますと生まれつき聞こえません。

20歳まで補聴器をつかっていたのですが、

聞こえる音は、ノイズだけ・・・

いちおう、音があるということは分かった。

でも、ぼくには、合わなかったんです。

だから、今は、補聴器は使っていません。

簡単に言うと、こんなふうに「音のある世界」と「音がない世界」を

それぞれ過ごしてきたんですね。

今も写真を撮るとき、いつも「音があること」と「音がないこと」の

ふたつを同時に思うんです。

その「ゆらぎ」が、自分でも、不思議。

で、「ゆらぎ」というのは、悪いイメージだけど、

ぼくは「ゆれる・一定しない」というのは、

とても「にんげん」らしくていいなー、と思ってます。

あ、話しが違う方向に行ってしまったので、もどします。


さっき、ポレポレぼうやが、「無音のなかの音を感じる」と言っていたけど

ぼくは、「ゆらぎ」の中で「何を感じて撮ればいいんだろう・・・」と

ずっと考えているんですね。

そして、最近、撮っているのが「まなざしの声」です。


僕の質問・疑問

「まなざしの声」ってどんなものなんでしょうか?


陽道さんの答え

ぼくにとっての「まなざしの声」は新しい言語。

「聞こえる・聞こえない」「音がある・ない」の

ゆらぎに、ゆれつづけることに疲れている僕にとって、

新しい「言語」とか「声」を見つける必要があった。

そこで「まなざしの声」というのが、出てきたんです。

そして、「まなざしの声」が聞こえる瞬間というのは、

どんなに小さいもの、スズメとか、虫とか、岩とか、何でも

「眼が合った」と思うと「ハッ」となるとき。

この「ハッ」が起きるたびに嬉しくなって、

相手の何かが、ぼくのなかに入ってきていると思えるんです。


僕の質問・疑問

ぼくも色々と、自分の中で、ゆらいでいた時があったのですが、

そんな時、陽道さんと出会って、色々なことに気づかせてもらい

自分自身と向き合うことができました。

そこで、陽道さんにとって、「自分と向き合う」とはどういうことですか?



陽道さんの答え

自分と向き合う・・・

「だれも、助けてくれない」という「ひとりぼっち」をつよく思うことかな。

そして、そう思ったとき、「ひとりぼっちを知っている覚悟のある人」に

出会えて、助けてくれる。

なんだか、ややこしいけど、「ひとりぼっち」を知れば知るほど、

だれかを助けたくなるし、助けられもしたくなる。

ほんとうにそう思う。

そして、こう思えたとき、ぼくは、とても楽になりました。






「ポレポレと」


僕の質問・疑問

もう一つ、質問させてもらいます。

最近、陽道さんが「モモ」を読んでいると聞きました。

ぼくも、不思議と同じころに読んでいて

「モモ」の主人公が「聞く」という行為ひとつで、

まわりの人たちの悩みを解決する、みたいな場面にしびれました。

陽道さんは、どんな所に、しびれたのでしょうか?

(「モモ」については「かっこいい人たち第二回」の
プロローグ「僕とeboard」をご覧ください。)



陽道さんの答え

同じです!「聞く」というところですね。

今、言葉や情報にあふれかえって「聞く」ということが忘れられているからね・・・

必要以上の言葉もなく、悟らせてくれる「聞く」というのは、すごいと思う。

僕は「モモ」を読んで、もしも、「聞く」ということを

写真でも出来たらな、とちょっと考えています。


僕の質問・疑問

そうでしたか!気持ちを共有できて嬉しいです。

所で、ぼくにとって「聞く」というのは

時間をたっぷり使い、ゆっくりと「聞く」というイメージがあります。

(一日中、聞いていれば良いということでは、ないのだけれど)

で、陽道さんにつけてもらった「ポレポレぼうや」の

「ポレポレ」の意味(ポレポレはスワヒリ語で「ゆっくり」)をはじめて、

知ったとき「ポレポレ=ゆっくり」と「時間」のイメージが

重なって、前より、もっともっと「時間」と「聞く」ということを

考えるようになったんですね。

そんなふうに、素敵なあだ名をつけて下さったのだけれど、

陽道さんは「ポレポレ」という言葉が好きなんでしょうか?



陽道さんの答え

まず、「響き」がいいですよね〜。

「ポ」ときて「レ」!

またもや「ポ」ときて「レ」!

じつは、あだ名をつけたときは、

こんなふうに「響き」がいいからと直感でつけただけなんです。

あとあと、調べてみたら「あ〜!いい意味だなー」と思ったんです。

「ポレポレぼうや」の存在に対する直感に言葉がついてきたんでしょうねえ。


僕の質問・疑問

そうだったのですか!びっくりです。

ところで、陽道さんは「ポレポレ(ゆっくり)する時間」は、どんな時ですか?



陽道さんの答え

それはね、「まなざしの声」を感じるときなんです。

すごく、みじかい時間なのだけれど

ものすごく心が満ちる。いっぱいになる。

そのとき、のんびりした気持ちになります。


僕の質問・疑問

では、陽道さんにとって「まなざしの声」は、

すごく感じていることなんですね。


陽道さんの答え

はい。ほんとうにそれ(まなざしの声)を信じないといけない・・・




ぼくも陽道さんについていくので、

もっと本当の「声」みたいなものをポレポレと聞きたいと思う。

今日は、ほんとうにありがとうございました。



陽道さんの答え

こちらこそ、はじめて出てくる言葉が

いっぱいでびっくりしました。

本当にありがとうございました。








別府倫太郎の締めくくり


今回は、「ポレポレ」や「無音」、「聞く」など、色々な言葉が

出てきましたが、その中で、気になったのが「まなざしの声」です。

取材のあとも「まなざしの声」ってどんなものだろう?とずっと考えていました。

で、ある時、ふっと思いついたことがあります。


「まなざしの声」は、社会の大部分の人が、

忘れていることなんじゃないか、ということです。

もちろん、「まなざしの声」というのは、科学的なものではありません。

でも、だからこそ、忘れているんじゃないでしょうか。


そして、その「まなざしの声」が、どんなものか、ということですが、

僕が思うに石や犬、人などが、1つ1つ持っている

「リズム」みたいなものだと思います。


「なんか分からないけど、惹かれる」、

「なんか分からないけど、苦手だ」とか、

こんなことも、「僕のまなざしの声(リズム)」と「対象のまなざしの声」が

合ったり、合わなかったりするから、なんじゃないでしょうか。

僕もよく、この場所、「すごく嫌だ」とか、

この場所、「すごく落ち着くし、好き」とか、

本当に良くあります。もちろん、人にも、モノにも、お店にも、

あらゆるものに言えることだと思いますよ。


後、「人が人を呼ぶ」とよく言われますよね。

素敵な人に、偶然、出会ったり。(世間で言う「運命の出会い」)

こういうのも、自分のリズムと相手のリズムが、

ラジオが電波を受信するみたいに、

不思議と、似たようなリズム(ラジオで言う電波)が

集まる(ラジオ局)からではないんでしょうか。

そして、その様な人たちと話すと、

リズムとリズムが、響きあってまた新しいリズムが出てくる。

いや、「音楽」と言ったほうが良いかもしれません。

まぁ、とにかく、人と人、石と人が、出会うことによって、

「新しい音楽=まなざしの声」が、生まれては、消えていくということですね。


そして、その「素晴らしい音楽(まなざしの声)」が流れたときがあります。

もちろん、それは、陽道さんの取材で会ったときです。

もう、楽譜なしの生演奏のように、

良い響きが、どんどん生まれてくるのです。

聞いていて快感でした。(笑)

本当に、こんな音楽を聞けてよかったな、と思います。

そして、そんな「まなざしの声」を聞かせてくれた

陽道さん、本当にありがとうございます。

そして、この記事を読んでくれた皆さんにも感謝です。


ぜひ、皆さんも「新しい音楽」さがして下さいね。

きっと、新たな出会いもあるはずです。

皆さんの「新しい音楽」をお待ちしております。








▲陽道さんの写真と僕



(第三回「まなざしの声」終わり)











作者

別府倫太郎 プロフィール



2002年12月5日生まれ。

新潟県十日町市在住。

3年前から始めた「別府新聞」の社長でもあり、

別府新聞のたった一人の社員でもある。

「学校に行っていない思想家」「ポレポレぼうや」など

色々な呼び名がある。








かっこいい人たち いままでのタイトル

第一回 「聞くということ」 2014-1-10更新

第二回 「自分の時間の使いかた」 2014-2-8更新

第三回 「まなざしの声」 2014-3-6更新

第四回 「かっこいいということ」 2014-5-23更新

第五回 「大切にしてくれるもの」 2014-8-30更新




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