別府新聞社は新潟の十日町市という所にあります。

米どころでもあり、豪雪地帯としても知られている新潟十日町。

ここ、別府新聞でも、そんな雪のことを「雪国くらしの手帖」で取材してきました。

だけど、雪国も、「夏」はある。冬だけを取材して、終わりたくなかったのです。

だから、「雪国のなつ」は、雪国の夏というものをベースに

「暮らし」というものを探って行こうと思います。

ちなみに、「雪国のはる」をしなかったのは、

雪国いうのは、雪がとけると、まってました!とばかりに

ものすごい勢いで、草が生えてくるからです。

つまり、言い訳になってしまうのですが、あまりにも春がすぎるのが早すぎて

別府新聞も、取材できなかった、ということ。(笑) 

それも「雪国らしさ」ということで受け取っていただければ・・・

まぁ、それはさておき、ほんとうの「夏の暮らし方」をお届けしたいと思います。





▲ここが新潟県十日町市。














「ぜんまい」


2015年5月21日





山菜という言葉を聞くと、どういう山菜が皆さんには浮かぶでしょうか・・・

ふきのとう、ぜんまい、タラの芽、こごめ・・・

様々な山菜があります。

雪が融けてきたその季節をそのまま食べているような、

そんな「美味い」というだけではない、そんな味。

ぼくは、闇に包まれたような雪国の山が怖いので、

山菜取りというと、怖いというイメージが

ありますが、最近は採りに行くようになりました。

「怖い」ととことん思いつくしたら、

山のそれ以上の力をつかめてきたのです。


ただ、山菜を採ると言っても、

ばあちゃんやじいちゃんには到底、及びません。

土地勘、山菜を見分ける目、採る素早さ・・・

それらは昔からの蓄積です。

ばあちゃんも山菜を採るのが本当に好きで、

必ず毎年山に行っては、山菜をいらないというほどに採ってきます。



ただ、その前に視察に行く必要があります。

「いざ!」と思って、山に行ってもない時があるからです。

その視察担当はじいちゃん。

あそこには雪がまだある、ぜんまいが少し生えてきたぞ、など

じいちゃんがちょっと山に行って見ては、

視察団のようにその情報を伝えるのです。

ただ、そのじいちゃん視察団がなかなか、

視察に行ったまま帰ってこない時があります。

そう、山菜がもう生えているのです。

視察の意味があるのか否か、とにかくたくさん採ってきます。


昨日、5月20日もそうでした。

「視察に行ってくる」と言って、そのまま帰ってこなかったです。

そして、やっと帰ってきたときには、山ほどのぜんまいがありました。

ただ、ばあちゃんも山菜採りに行きたい。

だから、その翌日にまた行ってはぜんまいを採ってきます。

じいちゃんもそうですが、ばあちゃんの山菜への熱意はものすごいです。

特にぜんまいへの視線は特別。

今日も、山の中をかき分け、ぜんまいを採ってきました。







あそこにある、あそこにある、その思いで足は

どんどんと進んでいきます。

採った時間は、2時間。

採った量は9kgです。


さて、ぜんまいを採っても、

それをどうするか。

家に帰ってからもその作業は続きます。

まず、最初の段階はわたを取ること。

ばあちゃんが二倍速くらいの勢いで取っていきます。


























そして、出来次第、ぜんまいをゆでるのです。

茹でた水はぜんまいのアクで茶色に。

このアクは洋服につくと中々、取れないそう。

注意しないといけないのです。

ただ、この茹で水で「ぜんまい染め」も出来そう。

ぜんまいの幅が広がっていきます。










それで、茹でたぜんまいは「むしろ」に並べます。

そう、乾燥させるのです。

けれど、ただ乾燥させるだけではいけません。

「もむ」のです。

放っておいているままだと、ぴんと直線に乾いてしまい、

固くなってしまいます。

それを「もむ」ことによって、柔らかく、

そして、くしゃくしゃに乾燥させるのです。

この「もむ」というのも一つの技。

このばあちゃんの動画を見れば

きっとその絶妙さがわかるはず。



















そして、その「もむ」作業を

一日目には3回、2回目には1回くらい行います。

それも天候を見ながらの作業です。

それでこんなふうに乾いたら完成。










食べる時になったら、

さっと煮た立たせない程度に入れ、

そして、2日くらいそのままにしておきます。

ただ、その戻している途中にも

少し「もむ」のだそう。

それで戻せたら、きんぴらでも

なんでも、ぜんまいを食べるのです。

とくにお正月やお盆にはかかせない一品。

ぜんまいはこの土地に生まれる一つの味。

いつまでも忘れられない味なのです。







「木の芽」


2015年5月11日





所で、この地、新潟県十日町市には、

ふきのとうや、こごめ、 先程紹介した「ぜんまい」などのほかに

欠かせない山菜があります。

それは「木の芽」という山菜です。

雪が降るここ新潟ぐらいしか食べないそうなのですが、

(雪が降らないところでは苦くて食べられないので)

ほのかな苦みがとても美味しくぼくも好きです。

今日は木の芽とりのプロとも言える、

あたしゃのばあちゃんにお願いして、

一緒に採りに行きました。







やっぱりずっと山菜を採ってきたその蓄積が

ここにも表れているな、ととても感じます。

ぼくみたいな素人と何かの動きが違うのです。

よくいえば、それは仙人のようで、

もう一方の言葉で言えば、何かに取りつかれるように

無心に採っているような感じです。

ぼくは山が怖いので、誰かと一緒に居ないと、

足が震えてしまいます。(今はよくなりましたが)

だけど、そこに山菜があると、

今まで一緒に居たばあちゃんも

素早く山菜の所へひょいひょい行って、

林の中に隠れてしまうのです。。

その時、ぼくは「山菜妖怪」に

取りつかられているのではないか、

と思わざるをえませんでした。(笑)

「山菜」というものは、それぐらいの

雪国の人の生活の一部を占めているものでもあるということです。






















ちなみに「木の芽」とは、あけびのつるのこと。

それらを採り、食べるのです。

ただ、似たようなものもあるので、

それはあたしゃのばあちゃんのような

「プロ」にお願いして、

感覚と目で覚えるしかありません。

感覚と目・・・

それらをぼくはフルに

活用して初めてちょろっと山菜は採れるのです。

だから、とにかく山菜採りは目も疲れます。

ゲームやパソコンをやっている時よりも、

疲れるのではないか、と思うくらい、

神経を使うのです。

ただ、それも慣れ。

ぼくはいつか採り続けて、

あたしゃのばあちゃんのようなプロになりたいと

野望を抱いています。







ただ、現状はこれ・・・

左があたしゃのばあちゃん。

右がぼく。

やはり、その蓄積はすごい、

ここに居るということはすごいのだと

改めて思ったのでした。







そういえば、まだ木の芽の食べ方を書いていませんでした。

スタンダードな食べ方としては、

そのまま木の芽をゆでて(苦みが気になるのなら重曹を入れて)、

醤油やとき卵にからめます。

もしくは、マヨネーズ醤油でも美味しいです。

そのものの味がわかります。

しかし、それにそろそろ飽きてきたな、という時には

「木の芽ごはん」がお勧めです。

その作り方は簡単。









ゆでて、一口サイズに切った木の芽を油を炒めて、

塩コショウを振りかけます。











それを白米に混ぜれば、「木の芽ご飯」の出来上がり。

融合しているようなそんな味が感じられます。

ぼくは「木の芽」という一つのことから

山菜という雪国の一部を少し感じられたのです。




















おまけの2枚






これは「三月菜」という菜っ葉。

畑では今の季節に採れます。

でも、なぜ「三月菜」というのか?

その理由はビニールハウスで

3月に採れるからなのだそうです。








こちらは「山椒」。まだ若いので実も葉も天ぷらにして食べられます。

ばあちゃんの話しによると、山椒の木は一回、根元から折れてしまったそうなのですが、

放っておいたらもう一度、育ったそうです。力がある!




(雪国のなつ4 木の芽・ぜんまい 終わり)






雪国のなつ いままでのタイトル

その1「ちまき」 2014-6-22更新


その2「祇園祭り」 2014-7-16更新


その3「お米」 2014-10-14更新


その4「ぜんまい・木の芽」 2015-5-22更新


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