「呼吸という思想」

「ぼくにとって、考えることは呼吸である。」

そんな別府倫太郎が日々の日常に見つけた「思い」を書いていきます。

日記でもありながら、独特な世界をもった文をお楽しみください。







その3「日常という呼吸」












「お寿司」

2015年5月1日


▼ぼくは体調が悪いと必ず、

お寿司が食べたくなる。

明確な理由はわからない。

体が求めているのか、

お寿司が単純に好きなのか。

他の人でも、たまに体調が悪くて、食欲がなくなると

食べるのがお寿司だということを聞いたことがある。


▼ぼくは、少し前に原因不明の胃痛になっていて、

食欲もわかなかった、

その時にちょうどぼくのひいおばあちゃんの

13回忌になった。

供養の意味でも、お寿司しか蕎麦でもとるか・・・

とばあちゃんは言う。

ぼくはその一言にもじもじしていた。

お寿司食べたいけれど、

みんな食べれるかわからない・・・

もし、食べれなかったらどうしよう、

もったいないよね・・・

そう思ってぼくはずっともじもじしていた。

だけれど、結局、もじもじしならがらも

お寿司を食べることになったのだ。

そうと決まって、お墓に参ったり、

般若心経をあげたりしているうちに

不思議とお腹は減っていた。

そして、なんと一人前をぺろりと

だれよりも早く食べてしまったのである。

自分でもそのお寿司好きにあきれてしまっていた。

それで、今気がついたら、

ぼくはその日を境に食欲は戻っていたのである。

なんだか不思議な話しである。


















「新聞」

2015年5月6日


最近、よく新聞(別府新聞のことではありません)を

読むようになった。

ちゃんとした理由もなく、思い出したように。

前に、小児ネフローゼで長く入院していた時、 ぼくは毎日、毎日、時間はあったので

異常なほどに毎日、毎日、新聞を切り抜いていた。

自分の興味のあるものを全てをわからないまま、

けれど、ぼくは無心に切り抜いていた。

何かの意味があるわけではない。

だけれど、「興味がある」それだけで新聞を見ていた。

用語がわかるわけではないし、

完全に読めていたわけではない。

今も何を読んでいたかは覚えていない。

けれど、そのことをふと思い出すのだ。なぜだろう。

意味もなく、前絵の時間と今の時間が繋がる瞬間。

今もそれらが繋がり、ぼくは考えている。

とくに何かのために読んでいるわけではない。

けれど、やはり興味があるのだ。

ぼくの考えていること、書こうとしていること、

善悪、生死、罪悪感、そういうものは

今の時代に逆行しているのかもしれない。

そう思いながらも、新聞を読み、

ぼくという一つの「目線」を感じるのだ。

じつは、ぼくは新聞を読んでいるようでいて、

自分の考えを見ているのかもしれない。

今も、昔も、ぼくは一つの鏡を見ているのだ。








































作者

別府倫太郎 プロフィール




2002年12月5日生まれ。

新潟県十日町市在住。

3年前から始めた「別府新聞」の社長でもあり、

別府新聞のたった一人の社員でもある。

「学校に行っていない思想家」「ポレポレぼうや」など

色々な呼び名がある。