「呼吸という思想」

「ぼくにとって、考えることは呼吸である。」

そんな別府倫太郎が日々の日常に見つけた「思い」を書いていきます。

日記でもありながら、独特な世界をもった文をお楽しみください。







その1「呼吸の始まり」







「4つのみかん」

2015年2月2日


1月でもない4月でもない1日でもない、ましてや

その次の日の2日というこの中途半端な日にぼくは日々のことが

書きたくなった。なので、自分のために今、書いていきたいと思う。

しかし、今日は大変だった。学校に行っていないぼくが学校に

むけて卒業文集を書いたのだ。学校に行って傷ついたこと

考えていたことを書いた。そのままを書いたので、善いも

悪いもないその文ができた。それを今日は清書していたのだ。

それでできたのを母に見せた。すると母に「漢字が間違っている

じゃない!!!」と言われてしまったのだ。それがきっかけとなり

ぼくは少しへっけてしまった。母は「できなかったら人を

頼るんだよ、できないことを認めるんだよ」行ったがぼくはまだ

へっけている。本当はもっともだ、と思っていたのだが

へっけているので天の邪鬼になり、逆に逆に向かってしまう。

そして、泣いたり怒ったりと色々な感情が混じりあっていた。

そして、母もぼくも意地を張り、どっちもへっけていて

どっちが正しいとかもなくなり、本気の意地の張り合いと

なっていた。今日も「バトルが」が始まったのである。

言い合いになったり、泣きわめいたり、シーンと黙ったり・・・

ただ、負けも勝ちもないこのバトルは、なくなくやり始めた

漢字が間違っている所をなおす、ということで終わった。

ただ、先程の熱戦からは予想もつかないよな感じで

さっきの母の言葉がぼくの中にすんなりと入ってきたのだ。

しかし、へっけているので中々、そのことを示せなく

じりじりと続いていた。だが、その卒業文集を送りに出かけると

考えられるようになった。ぼくは漢字ができない。

なぜ、できないか?それは学校に行っていないからだ。

でも、漢字はかきたいし学校には行かない。そう思って

考えたら、ばあちゃんに習えばいいんだと思いつく。

ぼくのばあちゃんは書道の先生なのでそれを機に習おう、と

思ったのだ。そんなことをばあちゃんや母にも話すとそうだな、と

行ってくれた。母も「学校に行かない、ということは良い面だけ

ではなくて、漢字が書けないとかそういう部分もある。

だけど、行かなくても書けるようになればいいんだよ。そういう

そのままの部分を示すことも本当の学校の行かない、

ということだと思うよ。」と言ってくれた。

そのことがただ嬉しくて、さっきが嘘のように笑っていた。

「波乱万丈すぎるよ」と言って、また今日の日が暮れていく。

そして、またぼくたちは家に帰り、いつものように過ごしていた。

しかし、そんな時ふとテーブルを見てみると、みかんが4つ

置いてあったのだ。「どうしたんだろう」と思い返してみると、

このことについて揉めたり喧嘩していた時にそっとじいちゃんが

置いたんだ、そう思い出した。このことにまた僕の心はほぐれた。

ぼくたちが喧嘩しているのに、何も言わずただぼくたちのために

4つのみかんを置いていった。そのいつも、じいちゃんらしい所が

ぼくは嬉しかった。じいちゃんはなぜケンカしているのか、

そんなこともよく知らないのかもしれないけれど、無意識のうちに

そういう「嬉しさ」をそっと置いていってくれる。

とても、そのことが心地いいのだ。今日も色んなことがあったけど

周りはすっかり日がくれていく。そして、今、テーブルの上には

卒業文章の下書きとみかんの皮が置いてある。

(みかんは美味しくいただきました)

その文の最後には、こう書いてあるのだ。

「ぼくの体が行けなくなった。気持ちがいかなくなった。

考えが行かせなかった。そして、ぼくは呼吸ができるようになった。

ぼくにとって考えることは呼吸である。ぼくは考え続けて

いきたい。それは生きることだからだ。」

あぁ、今日も楽しかった。そんな思いが頭をかすめる。










「ひらがなと老人」


2015年2月3日


今日は、昨日書いたように早速、ばあちゃんと師範の資格を

とったぼくにとってのおばさんにあたる「みなちゃん」に

書道を教えてもらった。ただ、書道といってもペン字なのだが大変、面白かった。

何が面白かったというと、「ひらがな」が面白かったのだ。

ただ、書いていくと、それだけに向き合う。

それがぼくにとって良かった。

言葉と言うものとは本質的にみると、そういうものなのではないのだろうか? 

そう思った。ただの一文字だけで何も意味はない。

だけれど、それが今、ぼくがこれを書いたりする素になっている。

そう思うと、ひらがなの美しさに気づくのだ。

その一文字の見た目が美しいというわけでもなく意味が美しいわけでもない。

その存在が美しいのだ。

そこから、存在する言葉にはいつもぼくはすごさを感じる。

とくに老人の言葉にぼくはそれを感じるのだ。

昔の老人というのは特にずっと黙ってもくもくと家を見守っている

存在だった。何を考えているかわからないけれど、何もせずに

どこかを見ている。そういう老人も昔はいたのだ。

そして、その存在が口を開くときの言葉は重たい。

その言葉というのは、「ひらがな」に近いのである。

口にする言葉は少なくれも、言葉はどこまでも深い。

そして、それはその人がいつも言葉と繋がっているからだろう。

何もせずにボーっとしていると、どことなく繋がるのである。

だから、そういう意味で老人というのは、存在する美。

それはそこに居続けたという「証(あかし)」でもあるのである。

生きるとは何かを持ち続けながら、そこに居続け、

「生きがい」を見つけ生き抜いてきた人たち。

その重みは深く感じている事だ。

「ひらがなと老人」このぼくのやむなき探求はまだ始まったばかりなのだった。

ちなみに今日は節分であるが豆を「ぱらぱら」まく音が聞こえてくる。

「ぱらぱら」というひらがなをぼくは、また見つけ出したのだった。









「オレンジのきいたモンブラン」


2015年2月3日


今日は、ばあちゃんが市街に用があるというので、

それにあわせて、ぼくと母も車で市街へと出かけた。

いつも、ぼくたちはばあちゃんを送ると、図書館へ行ったり

喫茶店へするので、この日もどこかで待つことにした。

「今日はどこに行く?」と母が言うと、

迷うぼくは「わからない」と答える。

すると、母が「ここを右に曲がって、狭い道を通って、

あの隠れ家的なケーキ屋に行こう」と言ったので、

ぼくは即答し行くことにした。

そのケーキ屋とは、前から気になっていた所で、

良い雰囲気をもったお店だ。

5〜6年前に行ったことがあるのだが、ぼくは憶えていない。

おそるおそる入ると、そこには職人ぽい格好のおじさんがいた。

「喫茶を利用したいんですけど・・・」と言うと、いきなりおじさんが「えっ」と言う。

「コーヒーだけなら用意できますけど・・・」とイヤそうに言う。

ちょっと困ったなという感じで迷っていると、

母が「あの、息子はコーヒーが飲めないんですけど・・・紅茶はありますか?」と聞くと、

何とか大丈夫という感じだった。

そして、調理場に行っていったのだが、ぼくはちょっと後ろめたく

「無理ならいいですよ」と言うと、そのおじさんは

「紅茶1つと珈琲1つですよね。大丈夫です」という応え。

もう一度「大丈夫ですか?」と聞くと、また

「紅茶1つと珈琲1つですよね。大丈夫です」という応え。

もう、後には戻れないという感じだったので

ぼくたちは小さなテーブルに座った。

ちょっとまっていると、母が「テーブル、ふいてもらっていいですか?」と言う。

ちょっとテーブルが汚かったのだ。「少々お待ちください」と言ってしばらくすると、

おじさんが来て、どこか汚かったのか?と疑うような目でテーブルをふいていった。

正直、ぼくはドキドキしていた。

入ると、喫茶をやりたくないように言われ、テーブルが

少し汚い。そして、憶えがない所だと、心配になるのだ。

しかし、お菓子は美味しそうだったのでそれにぼくは希望をかけていた。

すると、そう思っていたら頼んでおいたモンブランと紅茶が運ばれてきた。

言い忘れていたので「あの・・・一時間くらい居てもいいですか?」

と聞くと「全然、良いですよ」と言ってくれた。

そして、そのままぼくはモンブランを食べる。

すると、とってもおいしかったのだ。オレンジが効いているのだが

その効き方がしつこくなくて、甘さも後をひかない。

そして、紅茶も美味しい。ぼくはとても満足して食べていた。

そして、本を読んだり話しをしたりして過ごしていたのだ。

しかし、このおじさんは善いも悪いもそのままの人なんだと

気づく。入ってからの受け答えからわかるように、

すごくきっぱりしているのだ。そして、そのおじさんが作っている

ケーキは文句のつけようがないほどおいしい。

接客は上手ではなくても、ケーキは美味しい。

それが、その人が自分の「個」であることなのだ。

無理に隠さないし、隠しようがない。

そういう人の存在はとても「強い」ものなのである。

ほかの人に気を配らないでただただ自分のことを自分の

ためにやっている。人のためにやっていることならある程度

逃げ場はあるが、自分のこととなると隠しようがない。

だから、あのおじさんは気持ちを隠さない。

少々、大げさでばからしいように聞こえるかもしれないがそれでいいのだ。



だから、絶対にまたこのケーキ屋さんに行こうとぼくは誓う。

通い詰めてやると。そして、ぼくはそんなふうに思いながら

この店を去ろうとして、会計を頼んだ。

すると、そのおじさんは「会計はご一緒でいいですか?」と言った。

ぼくは思わず笑ってしまった。それはそうだ。

親子なのだから別々もないのである。

しかし、そういうところにぼくの心はほぐれるのだ。

母は会計をすまして、車に乗った後「恋人に見えたのかな?」と笑っていた。

しかし、今日ぼくははこの店に行けただけで

すがすがしい気もちになっていたのである。

本当にありがとう、そんな不思議な

気もちにあふれていた今日なのであった。

















作者

別府倫太郎 プロフィール




2002年12月5日生まれ。

新潟県十日町市在住。

3年前から始めた「別府新聞」の社長でもあり、

別府新聞のたった一人の社員でもある。

「学校に行っていない思想家」「ポレポレぼうや」など

色々な呼び名がある。