「呼吸という思想」

「ぼくにとって、考えることは呼吸である。」

そんな別府倫太郎が日々の日常に見つけた「思い」を書いていきます。

日記でもありながら、独特な世界をもった文をお楽しみください。







その2「呼吸する話し」












「帽子」

2015年4月17日


帽子はとても大好きだ。

去年、被っていたカンカン帽子が

いたんでしまったので、

今日は帽子屋さんに行った。

前にも何回も行ったそこの帽子屋さん。

毎日、毎日、被ってまたここに来る。

ぼくの被り方も悪いのだろうけど、

被ならければ帽子は必要ないのだから、

しょうがないのだ。

ぼくの場合は、とくに帽子がないと日差しが強すぎたり、

少し寒い時も困るので急いで。

そして、あっけないほどに即決でまた去年のものと

似たようなものを選んだ。

似ているようでよくよく見ると、

そのフォルムは面白い帽子。

ものすごく「被っている」という面白い気持ちで

ぼくはお店を出てからも帽子を意識して歩いていた。

そして、その後、また色々な人と会って

話しをする機会があったのだが、

ふとその帽子いいね、と言ってくれる人がいたのだ。

そんな時、ぼくはつい嬉しくなってしまう。

新しく買ったものにそんな言葉がつくと嬉しい。

そんなことはないだろうか。

直接的な関係はなくとも、

その関連性の中に何かが見えることがある。

この帽子はそんなことを「示すもの」に

なってくればいいな、とぼくは思う。

いや、きっと自然となっていくのだ。

だって、そこにある帽子が

本当に示しているのだから。
















「中華屋さん」

2015年4月16日


「行きたい」と思う時、そこの目の前にはその店がある。

ぼくはふと思う時、そこの景色がうかぶ。

その呼吸のような手さばきから生まれる、チャーハン。

一つのラーメン。

ぼくはそれらが大好きだ。

どこかの隙間を縫って、どこに居るのかも

わからないほどにそこに溶け込む。

絶妙なのかはわからない。

けれど、そこには何かの呼吸があり、

素晴らしい関係があるのだ。

ずっと繰り返していくような、

ずっとずっとそこにあって欲しいとぼくは思う。

カウンターから見える厨房に居る二人。

いつでも作っていて、いつまでも同じ。

その一つのものを作り続けている。

無言のまま、何も言わずに「そのもの」で

それらをぼくに届けてくれる。


そして、そこにはいつも声を掛けてくれる

接客担当のおじいちゃんがいる。

「今日は来てくれてありがとうね」と

いつも言ってくれるそのおじいちゃん。

「ラーメン一つ」と頼むと、

厨房の二人に伝えてくれる。

そして、ここにはラーメンがあるのだ。

その単純な関係、ぼくとそのおじいちゃんと

厨房の二人の関係になぜかぼくはほっとする。

そのリズムというのだろうか、

呼吸というのだろうか。

力の入れ具合がちょうど心地いい。

ここにいて、ラーメンを食べる。

それだけのはずなのに伝えようのない「何か」を

そこの中華屋さんは残していくのだ。

それらは一つの「呼吸」ともいえるだろう。

ただ、一つのことを淡々と

済ましているように見えても、

そこには吸って、吐いていくような

余裕と時間と呼吸があるのだ。

大げさではない。

ぼくの見える小さな所から

そういう景色は写しだされる。

本当に行って良かった、と毎度のように思うところ。

すこし体調が悪い時でも行ってしまうところ。

その日、そこのおじいちゃんは通るたびに

「ありがとね」と言ってくれた。

何も語らないからふと生まれる言葉。

その呼吸する感覚をぼくは

今でも思い出しているのだ。

そのラーメンの匂いと共に。






































作者

別府倫太郎 プロフィール




2002年12月5日生まれ。

新潟県十日町市在住。

3年前から始めた「別府新聞」の社長でもあり、

別府新聞のたった一人の社員でもある。

「学校に行っていない思想家」「ポレポレぼうや」など

色々な呼び名がある。