ジャズのサックス・フルート・バスクラリネット奏者である、

エリックドルフィーというひとが、のこした言葉があります。

それは、「音楽は終わると、空中に消えてしまう。もう一度、とり戻すことはできない」という言葉。

このコーナーでは、その「空中にきえた音楽」をジャズが好きな

別府新聞社長、別府倫太郎が探っていきたいと思います。






第3回 そのままのシナトラ



フランク・シナトラ プロフィール


ジャズ,ポピュラー歌手。

力の抜けた、気持ちよさそうに歌う姿が良い。

生年月日: 1915年12月12日

生まれ: アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ウェスト・ハリウッド

死没:1998年5月14日 




今日の一枚

「フライミートゥー・ザ・ムーン」

フランク・シナトラ








「そのままのシナトラ」



この音楽を本当に聞いたのは、

冬、電車にのったときだった。

東京に向かうとき、ワォークマンでこの

フランクシナトラ「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」を聞いた。











そして、ぼくは、ぼんやりとして

考えごとをしていた。

雪を見ながら、おどろくほどに心地よく

考えごとができていた。

体の感覚がなくなって、ふんわりとするほどに

存在を考えていた。

ボーっと電車に乗りながら、

どこまでも、つつげばいいとすら思う。

そう思うと、ふと今、聞いている音楽のことを思い出す。

そう、それこそ「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン」。

ずっと、心地よかったことを思い出し、

フランク・シナトラが歌ってくれたことを

思いかえす。このすこし、ラクなかんじで

心地よく歌う、フランク・シナトラのスタイルが

そうさせたのだろう。

しかし、シナトラは、本当にこれでいいのか?

というくらい楽しそうにそのままで、力を入れずに歌う。

これは、本当にすごいことだと思う。

歌うことで、だれかをはげまそうとしないし、

相手に無理な姿勢をさせない。

一見、すごくないように見えるかもしれないが

じつは大変に難しいことなのだ。

だって、気をぬかす、ということは

恥ずかしいことでもあるから。

つまり、自分の存在を考えていなければ、

気をぬかすことはできないということ。

そして、自分のそのままを出さなければ

できないということなのだ。

自分は隙間だらけですよ、ということを示す。

何も変えず、ただその自分を

考え続ける。それこそ、この音楽だと

思うのだ。だから、ぼくはこの音楽を聞いて

とても心地よかった。

いいとか、わるいとか、いやだとか、

そういうことをふくめながら、

その音をそのままおさめる。

その姿勢がこの音楽には

あらわれているのではないだろうか。

シナトラが思っていたこと、

考えていたこと、音楽によって色々な人を

救いたいと思っていたこと、そういうことは

たくさんある。ただ、それをこれがよくて

悪いとかを、伝えようとしないで、

シナトラは、この気のぬけた歌い方で

すべてを思いを伝えようとする。

それこそが「かっこいい」のだ。

だから、いつまでも、シナトラの歌は

聞いていられる。

聞きたいときは、じっくりと聞けて

人と話しているときは、ひかえめに

心地よさを流してくれる。

音楽は、変わらないのに、不思議なほどに

変化するのだ。なぜか? それは、かくさず

そのままを出しているから。

だから、やっぱりこの音楽はすごいし、

かっこいい。そうあらためて思う。

そして、ぼくはそんなことを思い、電車をおりた。

雪がしんしんと降り積もり、無音の中、

ずっと心地よさがながれている。

「気の抜けた」感じがながれる。

それから、また帰って、レコードで

シナトラの歌を聞く。

やはり、そこに「かっこよさ」があり

気のぬけた、感じがある。

そして、シナトラそのままがある。

つまり、この音楽には、

シナトラの「個」がそのまま入っているのだ。

だから、ぜひ聞いてほしいと思う。

できれば、冬、電車の中で、ゆっくりと。




別府倫太郎


(終わり)



空中に消えた音楽 いままでのタイトル

その1「不調和ということ」 2014-6-22更新


その2「ほんとうの「愛」ほんとうの「応え」 2014-8-3更新


その3「そのままのシナトラ」 2014-1-12更新


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