「自分とペンさえあれば、どこでも絵が描ける。アトリエになれる。」

別府新聞は、そんな思いを胸に、ここ、「どこでもアトリエ」で、

アートにかかわる人たちを取材していきます。




第二回 「ほんとうにいいもの」


假屋崎省吾さん













プロローグ「一つのメッセ―ジ」


ぼくは布団の中で驚いた。

ある人からのメッセージに。

「え!」と思わず、言って驚いていた。

ぼくの別府新聞を読んでくれて、

とくに「どこでもアトリエ」に載っていたぼくの絵に

メッセージをくれた。

「私の大好きな色遣いをする倫太郎君の才能が大好きです。」

そのメッセージを頂いたのは華道家の假屋崎省吾さんだった。

ぼくが4歳の頃、記憶があまりないのだけれど、

一度、目黒雅叙園に假屋崎さんのお花を見に行ったことがあって、

その不思議な縁に驚いていた。

そして、また新潟県新潟市にある、「旧齋藤家別邸」

(国指定名勝文化財)というところでお花の展覧会を

やっている、ということだったので、

この地、新潟とのゆかりに驚いていた。

そんなこんなで、色々とことが重なり、

假屋崎さんから、もしよかったら見に来て下さい、

との言葉にぼくは「假屋崎省吾の世界展」に

行って見ることにした。

何もわからなく不安もあったが、ドキドキとしていた自分も居た。

本当に会えるかどうかもわからず、

でも、見てみたい、という気持ちもあった。

そして、突き動かされるように行った旧齋藤家別邸。

そこには、驚きと嬉しさがあった。

そのお花を見た瞬間、身体全体が喜んだ、

そんな感覚があったのだ。

ゆっくりと、一つ一つをずっと見ていたい、という

気持ちにもなった。

そして、見終わった時、ふとスタッフの方が声を

かけてくれたのだ。

「もしかして、別府倫太郎さんですか?」と。

あまりの嬉しさに

どうも、こうも言えなくて、

「はい、別府倫太郎です」と答えるのが精一杯だった。

「假屋崎さんからお話を聞いております」

ぼくはまたもや驚いていた。

そして、しばらくすると、假屋崎さんが

ぼくのまえに目線を合わせてくれるように居てくれていた。

5分でもいいからお話をしましょう、と言ってくださり、

ぼくは急きょ、録音機を手に取材をすることになった。

本当にぼくは嬉しかった。

今回は、そのインタビューを「どこでもアトリエ」にてお届けします。

嬉しさ、驚き、そんなものが重なり合い、

一つのメッセージから始まった、

その不思議なほどの縁をぜひお読みください。











華麗なる共演

假屋崎省吾の世界展

新潟市 旧齋藤家別邸 

2015年3月25日〜31日




新潟県花チューリップ、魚沼産のユリを中心に

リズミカルに展開されていく50点もの作品。

古くからの建物の温もりを感じさせる、

旧齋藤家別邸だからこそできる假屋崎省吾の世界展。

きらびやかだけではない、「そのもの」としての美しさがそこにはあります。

新潟県のお花に桜やレンギョウ、假屋崎省吾の世界展は

まだ雪の残る地に住むぼくに春をいち早く感じさせてくれました。

(別府倫太郎)


假屋崎省吾の世界展ホームページ
 














假屋崎省吾さん×別府倫太郎 













假屋崎省吾さん

よく来てくれたよ、ほんとにねー。

なんでも質問してちょうだい。





僕の質問・疑問

お花の展覧会、見させていただきました。 空間がすごい「融合」しているなって、思いました。

周りの空気とか、ここの新潟の空気とかと融合しているなって

思ったんですけど、そういうことって感じるんですか。






假屋崎省吾さん

あっ、もちろんですよ。

歴史的な建築物ってあるでしょ。

そういうふるーい建物がとっても大好きで、

もう日本の国には色んなそういう古い建物があるでしょ。

もちろんだけれども海外にもね、いっぱいあるの。

そういう所にお花を活けているわけ。

それがやっぱり自分のライフワークなんです。

そんな中でも、新潟は三越で、

個展をやってくださいって頼まれたり、

色んな事でこちらには伺ってたんですよ。

新潟のあちらこちらにも、お屋敷がたくさんあるの。

でも、旧齋藤家別邸はなかなか来たことがなかったんですよ。

この間、市長さんの所に伺ってご挨拶した時に

見せていただいたんです。

もう、ほんとに面白くて素敵でわくわくしたの。

そして、今回展示会をすることにってこんな風に

活けようかなっていうのは、なかったんだけれども、

材料だけはないと困るので、桜とか、

レンギョとか、そう言った材料と器は、ちょっと余分に運んで来たんです。

でね、ここに持ってきたその瞬間に お花を見たり、

この空間を感じて、「じゃぁ、この器はここ」、

「この枝はこうやって活けましょう」と、

  もう、その瞬間。見た瞬間。その材料を見て、

建物を「あーだ、こーだ」と眺めながら、

瞬間で活けたの。なので、あらかじめやらないの。

たとえば、そうですね、

ここからお外を眺めるのに、ちょうど上手い具合に

なるように矢を張ってみたりとか。

それから、二階は一つのお部屋に何体も作ったでしょ。

それは繋がるようにリズミカルに作ったの。

音楽がね、ピアノの曲がかかっているんですけど、

私が演奏しているんですよ。

ピアノが大好きでピアノをやっているの。

やっぱり音楽のような具合でこうやってお花を活けてるの。

だから、リズミカルっていうのかな、

音楽を感じるような、そんな気もちになってくださると

私の活けた気持ちっていうのはわかってくださると思うんだけどね。

お花っていうのはまず「四季」があるの。

春、夏、秋、冬。

新潟は今、春はちょっと早いでしょ。

桜でもお花を活けて春を感じてもらってね、

そして、なんといっても、新潟なので

チューリップは世界に名がとどろいているので

このチューリップをぜひ使ってみたいなと思ったの。

そして、ユリの花も魚沼で作っているんですって。

ですから、地元のお花もいっぱい活けているんです。

ちなみに桜は山形から。

山形の桜の木を伐採して、山形もまだ咲いていないんですけど

ちょっと温かくして、そしてここまで届けてもらって

ここに来て、今日はほんのちょっとポカッとしてきたので、

花がだんだんほころんできたんですよ。

だから、一週間ね、展覧会の会期があるので、

その間、毎日、一つずつポンポンポンと咲いてくると思うの。





僕の質問・疑問

そうだったんですね。

今日見てもチューリップが、つぼんでいるのが

またそれも良くて。

完全ではない、みたいな。

それがワーッてすごい入ってきて。





假屋崎省吾さん

あのね、チューリップはつぼみじゃないと、

持たないんですよ。

花が散っちゃうの。

つぼみはつぼみの風情があるの。

それでね、昨日はチューリップを普通に活けていたの。

でも、今日ね、太陽に向かって、こう全部、曲がったの。

あんなふうに(まがった風に)活けてないの。

チューリップって面白いの、ほんとうに。

こうまっすぐなっていたのも、

水が上がって、光の方に、

今日ずっと当たっていたから

こうすっと曲がって伸びるわけですよ。

伸びて、こうつぼみがだんだん、色づいてきて

咲いてくるわけ。だから、それも面白いの。





僕の質問・疑問

当たり前ですけど、生きているんですもんね。





假屋崎省吾さん

そう!生きているものは成長していくわけですよ。

だから、別府君だって成長してもっと

色んなふうに変わっていくのよ。

ね!色んなふうになっていくのよ。

うん、もうこっちは56歳なの。

ねぇ、いくつだっけ?





僕の質問・疑問

12歳です。





假屋崎省吾さん

12才なの!?ちょっと!まだまだだね

私もこんな小っちゃいときだってあったんですよ。

私は園芸少年だったの。

お花が大好きだったの。

両親もお花が大好きで

お花を育てていたの。

球根を植えたり、タネを蒔いたり。

それが高じて生け花を始めるようになったの。

それでもう32年もたったの。

あっという間の32年。

だから新潟にも、いっぱい

生け花の先輩たちがいるんですよ。

その先輩たちも見に来てくれたの。

もうね、こっちが32年でしょ。 上の人は82歳なの。

もう始めたころから、伊勢丹や三越の個展、

講習会、研究会、

そういう時になると、お手伝いをしてくれた、

おばさま方がもう、70いくつ、80歳こして、

一生懸命、ここに来てくれたんですよ。

だから、そういう「人」と「人」のね、

出会いっていうのね、それがやっぱり心の温かい人

同士だと、うん、と長く続くんですよ。

そういうのがあるの、ね。





僕の質問・疑問

だから、すごいなんであそこまで自然に出来るんだろう、

と思って。そのままの形にどんどん見えてきて。

家の中なんだけど、そこに生えているような。







假屋崎省吾さん

そう!「空間」というものを大事にしたいので、

今、自然、とおっしゃったけれども、

本当に「融合」ね。喧嘩しないの。

「融合」させてお互いの良さを引き出すんです。

建物、この部屋の中の空間も、お庭も、お花も、

それぞれが自分を出しているわけですよ。

そういうったものを、喧嘩しないで

それぞれの良さが引き立ちあうものを

考えて、活けています。





僕の質問・疑問

すごい、入った時と見終わった時の自分の視野が変わって、広くなったんですよ。

あぁ、すごく広く見えて、「なんでなんだろう」って、

すごく目も喜んで、目もっていうか、すごく喜んで。

喜ぶっていうか、からだ全体がいいなぁって思えて。





假屋崎省吾さん

そう!ほんと!そういう子はね、感受性が鋭いの。

なんにも思わない子も中にはいるの、それは大人と子どもと関係なく。

感動しないっていう人、世の中にはいます。

そういう方はね、なかなか難しいですよね。

もう、ビッビッとくる人もいるし、なにか感じて、

それがすごく元気になったり。

色んなことにつながったり、たとえば、自分のお仕事とかお勉強に対して、

「なんかちょっと、頑張ろうかな」って気持ちになったり。

お花っていうものには、エネルギーがあるの。

「ちから」がある、パワーがあるの。



わたしは、お花をこうやって活けています。

ガラスの器がいつくか展示してあるんですけど、

器もデザインしているの、

それからきもの、日本の伝統的な着物もデザインしてるの。

色んなものをデザインするのが好きなの。

ピアノもそうだし、美しいものが大好きなので

美しいものに囲まれた、そういう一瞬が好きなんです。

皆さんにも美しいものは素晴らしいんですよ、と

知って頂きたい。

それで、こういうことをやっています。



今日、新潟市長さんがおいでくださって、

テープカットがあったの。

で、その時に皆様のまえでね、市長さんが

「毎年、この時期にこの展覧会をやっていただきたい」というお言葉を頂きました。

だから、また来年、来てください、ね。





僕の質問・疑問

今回、假屋崎さんがぼくの絵についてコメントくださって

本当に嬉しくて、絵を見ていただきたくって、

今、大きなのも書いているんですけど、

一瞬でも、って思って。





假屋崎省吾さん

はい!もちろん!見せて下さい。絵は大好きなの。





僕の質問・疑問

本当にぼくも習ってはいないし、

なんでも学び方も独特っていえば独特で、

色んな人に会っていう感じでしかできないんです。





假屋崎省吾さん

全然、良いのよ!そんなの。





僕の質問・疑問

なので、そういう意味で世間から

はみ出ているんですけども・・・





假屋崎省吾さん

なぁに言っているのよ!こっちなんてもっともっと

はみ出ているわよ。





僕の質問・疑問

だから、学校とかも「行けない」というか、

行かないんです。





假屋崎省吾さん

全然!そんなのいいのよ!

お母様がちゃんと教えてあげて、ね。

お母さんがわからなくなったら、また誰かに頼んでね。





僕の質問・疑問

本当にそういう意味で色んな人に会うことも

できていて、今回も本当に嬉しかったです。

ありがとうございます。





假屋崎省吾さん

こちらもね、嬉しくてしょうがないのよ。

私もね、料理が大好きなの。

料理の本も三冊出したりしているですけど、

料理は独学です。

このピアノだって、

中学一年生から高校一年生までちょっと習ったの。

でも、ピアニストになれない、と思ったから

それからもう全然、違うことをしていました。

それで、また4、5年前から始めたの。

そんなのもあるから、全然関係ないんですよ。

そんなの。習ってたって、ダメな人はダメなんだよ。

ほんとよ!学校出たって、何?と思う人は

たくさんいるわよ。





僕の質問・疑問

本当にぼくは色んな人に会えてとっても恵まれています。

今回もね、本当に。





假屋崎省吾さん

あ〜、よかった!

別府君、色んなことがあるけどね、頑張るのよ!

別府君ね、色んなことがあるから、

大変だけどね、色んな良いことがいっぱいあるの。

これからも。生きてなきゃだめよ。

美しいものいっぱい見て、

感動するとステキよ。気もちが豊かになる。

だから、色んなものに接するということがね、

自分で見ないとわかんないの。

話しだけじゃだめなの。感じるの。

で自分で感じて、「取捨選択」。

自分で良いものだなって思うのは吸収して、

「あ、これ違うな」っていうのは、どんどん捨てちゃうの。

そういうものなの。





僕の質問・疑問

捨てちゃえばいいんですか。 ぼくも迷いながらも、ちょっとながら、

ものの本質が見えてきて、それにつれて

みんながいいと言っているものでも、

「あ、イヤだな」と思うものも増えてきて。

こんなにぼくは斜に見てしまっていていて、

それで「これでいいのかな」と思ったりもして。

今日、取捨選択していいって、それが嬉しくて。





假屋崎省吾さん

自分の感性に合うもの合わないものって絶対にあるの。

そういうもんですよ。

それから、やっぱり良いものを見るっていうことは

絶対、自分の力になるの。

それが蓄積されると、「本物」になっていくわけですよ。

だから、「審美眼」という言葉があるけどね、

本物の良いものに触れる、

それが一番、大事。 音楽もそうなの。

世界的に本当に素晴らしい方のを聞くのが本当に好きなの。

だから、人間でもね、「先生、先生」と呼ばれてね、

偽物もいるけど、本物もちゃんといるわけですよ。

そういったのを、見極める審美眼。

これが大切なのよ。

それがだんだんだん、わかってくるのよ。





僕の質問・疑問

いや、もう本当に感動して、

先生の作品の木も切られているはずなんだけど、

力があるというか、そこにお花があると、

その周りからもっと空気が良くなって。

空気が改めて、重要だな、と思っています。





假屋崎省吾さん

でね、こんなに太い木が作品の中にあるでしょ。

あれって、ここで伐採された木で

燃やして、捨てちゃうものだったの。

あそこに置いといて、どんどん処分していた所、

「これどうするんですか?」と聞いたら

「捨てるんです」というから、そんな!っていうことで

使わせてもらったの。

そういうものもよみがえらせたわけね。

面白いでしょ。

お花を生けるだけでもいいんだけど、

ああいったものを構成してそれがステキだなぁ、って。

感性が自分に合ったの。





僕の質問・疑問

お花も木も一つ、一つが曲がっているんですもんね。





假屋崎省吾さん

そうなのよ!本当にさ、なんていうんだろうな・・・

お庭なんかに咲いているとね、

結構、風で倒れたりとかして「くね」っとなるんだけど、

栽培しているものって、みんなまっすぐなの。

八百屋さんのキュウリもそう。

まっすぐで綺麗なのしかお店に出ない。

たまにはくるっとなっているのもあって、

売り物にならないんだけどね。

でも、それだって美味しいのよ。

だから、そうやってかえって個性がある方がが

クセのある方がが好きなの。

ね、色々ですよ。

みんな、ちゃんと命があるからね。

世界に一つしかないんだからさ。

自分を大切にして、 別府君、もっともっと勉強するんだよ!

色んな意味で勉強するんだよ。

そうやって、頑張ってちょうだい。





僕の質問・疑問

はい、勉強させて頂きます。

今日は本当にありがとうございました。

本当に嬉しかったです。














エピローグ「感じられるもの」




ぼくは、何回もこのインタビューを読み返し、

假屋崎さんの言葉に触れ、そのたびに

体がふわっと包まれたような気持になりました。

假屋崎さんの一つ一つの言葉づかい、

それらが妙に心地よく、テンポがよかった、というのでしょうか、

ぼくに合わせて、自分自身のことを話してくれていたんだな、

ということを強く感じたのです。

優しい目をぼくは感じていました。

ぼくは、假屋崎さんの明快な考えをそこに見れた、

それがただ嬉しかったのです。

本当に假屋崎さんが話してくれたことは

お花や、そこの空間が示していることの一つ一つ。

「感じる」という言葉のとおり、語らないものに対する

まなざしがあると思うのです。

だからこそ、お花という「生きている」

その存在を強く感じられたし、

ぼくは本当にそこの空気に触れ、

今でも感じることができるのです。

その存在や力がそこにありつづけるから、感じられること。

それ自体が何も語らず示していてくれること。

その一つのお花の存在から見えること。

その力を假屋崎さんはだれよりも深く知っているのだと思います。

「融合」「ほんとうに良いもの」そういう言葉づかいで

色々な角度で事細かに見た目線で示すもの。

ぼくが感じた「やさしさ」とはそういうものだっとと思います。

伝えようとしていないから、感じられるもの。

それを自分から示していく。

その「やさしい目線」をそのまま、あからさまにしていった、

ぼくはお花の展覧会を見てそう感じていたのです。

インタビュー中にもありましたが、

ぼくが行った初日、チューリップは可愛らしいつぼみで、

ユリも咲いていく楽しみを残していました。

しかし、それから「感じるもの」、それはあふれ出ていました。

開いているところも見てみたい、という気持ちと

今の美しさをずっと見てみたい、という気持ち。

その時、二つの気持ちが不思議と「融合」していました。

そして、その余韻がぼくの中で広がっていきました。

その広がりの中でなんと、またもう一回、展覧会に行く

チャンスが訪れました。

お花はすべて満開。

そのお花、一つ一つがもっともっと大きくなっていて、

お花の力がぼくに伝わっていました。

ぼくは言葉を失った僕自身にも気づかず、

そのオーケストラの中に入ってしまった

気持になっていました。

そして、そのリズムをつかむようにぼくは驚き、

そこへと融合していくように自分の音を鳴らしていました。

自分でも気づかないほどに。

つぼみの頃、ぼくはオーケストラの客席に居ました。

お花のリズムを一つ一つ聴き、假屋崎さんの織り成す

オーケストラを一つ一つ聴き入っていました。

それが満開の時、引き寄せられるように

ステージに上がっちゃんたんです。

それはもう、言葉を無くすはずですよね。

つぼみから満開、その過程。


ぼくはそういう力の元に、引き寄せられたのです。

本当にそれは「生きている」という証が光り、

周りを動かす、ということなのだと思います。

家や空間、空気も本当は生きているんだ、

語らない大きな力を持っているんだ、

そして、それを強くもやさしく美しく示す力を

假屋崎さんは持っているんだと思います。

大きなことと思えても、本当はそれは小さな、小さなこと。

目を向けないと、気づかないこと。

ぼくはお花の世界のことはよく知らないのですが、

一つの葉っぱでも枝でも、一つの空間でも、

一つの光でも、それを感じてそのお花がある。

そして、その情景をその時だけではなく「それから」

ずっとずっと思いおこすのです。

それはストレートにただ思いおこすだけではなく、

何かを「含んで」訪れてくる。

根底にある「ほんとうのもの」。


假屋崎さんのお花にはそんな力があると思います。

なにもかもと融合し、その見ている人とも融合するような。

ぼくはそんな素敵な存在を知ってしまったのです。

そして、そんなぼくがひそかに計画していることがあります。

それはもう一度、展覧会の終わった齋藤家別邸に行くこと。

きっと、ぼくはそこで思いかえします。

假屋崎さんが見せてくれた「ほんとうにいいもの」を。

そこで見て、感じ、聴いたものを。

一度、感じたら離れないその力を自分の中に

思いかえすのです。

なぜなら、もうぼくには融合する存在があり続けるのだから。

そう、在り続けるのです。

そして、その「融合」という名の假屋崎省吾さんの

展覧会は来年もおこわなれます。

ぜひ、その時には、また「ほんとうにいいもの」に

引き寄せられるように行きたいと願うのです。










假屋崎省吾公式ホームページ
 

公式ブログ「華道家 假屋崎省吾の世界」
 







 

          



假屋崎さんいわく、「くされ縁も切れちゃうのよ!」という

新潟・三条「坂源」で作られた假屋崎省吾オリジナルハサミ。

ぼくは「くされ縁」という言葉を初めて知りました。

でも、ぼくにはまだ「くされ縁」という言葉が辞書上でしかわかりません。

これから、わってくるのかな?

でも、このハサミがあれば大丈夫。

新潟はこれから春。

もうちょっと先ですが、畑に居るばあちゃんとじいちゃんと共に

このハサミを使いたいと思います。


板源ホームページ
 







インタビューアー

別府倫太郎 プロフィール





2002年12月5日生まれ。

新潟県十日町市在住。

3年前から始めた「別府新聞」の社長でもあり、

別府新聞のたった一人の社員でもある。

「学校に行っていない思想家」「ポレポレぼうや」など

色々な呼び名がある。









(どこでもアトリエ 第二回 終わり)



どこでもアトリエ いままでのタイトル

第一回 「すきまの絵」 2014-1-10更新

第二回 「自分の時間の使いかた」 2014-2-8更新





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